カリブ・トリニダード紀行

rudder'sは、名古屋のフリーライター石黒昭弘の屋号です。
20年以上のキャリアがあり、雑誌、機関誌、Webページの制作などなど、さまざまなシゴトの経験から業務をこなします。
 

カリブ・トリニダード紀行 1996

 

機械燃料の洗礼を受けて

 成田空港からまる二日かけて、マイアミ経由で降り立った島国。そこで最初に出迎えてくれたものは、ディーゼルの鼻を突くにおいだった。
 トリニダードトバゴ共和国。
 この国の名前を聞いて、いったい何人の人が知っているだろう。南米ベネズエラからわずか数十キロしか離れていない、カリブ諸国でも末端に位置する島国だ。「カリブ」という地域でさえ、名前は知っているけれど、場所なんて…という日本人が多いというのに。
 1995年2月、僕はトリニダードトバゴに初めて降り立った。何故トリニダードなんかに? それには理由があった。
 「スティールドラム」という楽器がある。ドラム缶を輪切りにして、底を半円状に変形させた楽器で、れっきとした音階を奏でることができる。トロピカルでどこか哀愁を帯びた音色は日本人にも好まれるのだろうか、最近は(ナマ音かサンプリングかは別にして)テレビCMやドラマのBGMとして使われることも多くなった。
 実はトリニダードトバゴは、スティールドラムの故郷であり、聖地なのである。
 僕とスティールドラムとの「出逢い」の話は省こう。ようは、僕はスティールドラムに惹かれ、滅多に無い資料を必死で探し、音楽に詳しい知り合いやパソコン通信に教えを乞い、やっとこのトリニダードトバゴという国で、スティールドラムが生まれたことを知った訳だ。そして毎年2月頃にはこの国で盛大なカーニヴァルが催され、その中でスティールドラムのバンドコンテストがあり、国じゅうのバンドがその栄誉に向けて、必死に練習に取り組んでいること、そのチャンピオンの称号は何ものにも代え難い名誉であることも。
 「トリニダードトバゴに行きたい。カーニヴァルとバンドのコンテストを見てみたい。ナマの空気を触れてみたい」と僕が考えたのは、当然の成りゆきだったのだ。
 しかし、いかんせんこの国の情報が少ない。もちろん僕の周りには渡航者などいやしないし、ツアーなんかある訳がない。まぁいいや、とばかりカーニヴァルの日程だけを調べ、「ついでに他の島も回ってやれ」と行き当たりばったりに近いコースでエアチケットを取り、貧乏一人旅を決め込んだ。
 その約1ヶ月後、期待よりも不安を胸に、僕は成田空港にいた。日本で手に入る唯一の、しかもあまりアテにならない(が、ほとんど唯一の観光)資料『地球の歩き方』を片手に…。
 

異国の地への期待と戸惑い

 

 飛行機が空港に降り立った時、時刻は夜の9時を回っていた。別に用はないが、こんな時間には免税店も閉まっていた。税関を通過すると家族を待っているのか、大勢の人がロビーに集まり、賑やかだ。会話は英語だが、なまりが非常に強い。
 空港の喧噪の中、見知らぬ国で、黒人の中に一人だけ世間知らずの日本人だ。これで心細くない訳がない。少しだけ緊張し、彼らに警戒する自分がわかる。
 トリニダードトバゴのピアルコ国際空港から首都であるポート・オブ・スペインまでは、約20ほどの距離がある。タクシーは簡単につかまり、乗り込んだ。一路、ポート・オブ・スペインへ--。
 空港から首都ポート・オブ・スペインまでは、大きな幹線道路が結んでいる。道の両端には、いかにも南国らしくヤシの木が並び、夜風にそよそよと吹かれていた。その木の背後には、ぽつりぽつりとメーカーの工場や店舗が並んでいた。照明に照らされる名前には見覚えのあるものも多い。「トヨタ」「コマツ」「味の素」。それだけで親しみが湧く自分に少し自己嫌悪をする。
 タクシーの運転手は中年の黒人で、僕が日本人だと話すと少し驚いた様子だった。彼にとっては初めての日本人だったらしい。乗る前に「乗車賃は30ドル」と交渉していたためか、ボラれることはなかった。これはその時だけに限らず、トリニダードトバゴにいる限り、タクシーはいつも明朗会計だった。ホテルに着くと、彼は「また私を使ってくれ」と名刺を一枚僕にくれた。そこに彼の会社の連絡先が書いてあったことは言うまでもない。
 その日の宿泊ホテルは、ホリディ・インだ。到着日の宿だけは、事前に旅行代理店に取っておいてもらっていた。夜に着いて、泊まるところがなかったら大変だからだ。ここで1泊だけして、次の日から長期滞在用の安宿-ゲストハウス-を探さねばならない。
 それはともかく、腹が減った。時計は夜10時を回っている。まぁいいか、外に出て何か探そう、と、チェックインを済ませて早々に市街地へ向かう。と…、と、と。
 少したじろいだ。夜の暗がりの市街地、その大通りの両脇には若いあんちゃんが多勢たむろしているではないか。街に大音響で流れるのは、ソカというカリブ音楽。ジャマイカの「サウンドシステム」に似て、ビート志向の、今いちばんトリニダードでポピュラーな音楽だ。
 音の洪水と人のざわめきが渾然となり、一瞬「しまった、ここはスラムじゃないのか」という考えが頭に浮かんだ。しかし、その人混みの向こうにはケンタッキーやマクドナルドがある。「スラム街にファーストフードはないだろう」と、内心ビビリながらも人混みを抜け、フライドチキンを買ってホテルへ一目散に逃げ帰った。
 今から思えば、ただ若くてヒマをもてあましてる若い子たちばかりだったんだろうが、やはり異国での夜は怖い。それに、その時はわからなかったのだが、その場はスラムでも何でもなく、ポート・オブ・スペイン一の賑やかな通りだったのだ。
 ホテルに戻るとビールを頼んだ。トリニダードトバゴには「カリブビール」というビール会社があり、当然、そこのビールのシェアはとても高い。飲んでみるとライトな口当たりだが、アメリカのビールほど味が薄いということはない。美味しい。ビールを2本飲んでチキンをかじり、ほっとひと息をついてテレビをつけた。さすがホリディ・インだけあり、ホテルの中は快適だ。CNNもしっかり入る。
 「カリブの島国」というとヤシの実がたわわに実り、海辺で肌の焼けたかわいい子どもたちが遊んでいる--そんなイメージは、到着一日目からもろくも崩れさった。「エライところに来てしまったのかも」…これが最初の、正直な印象だった。
 

我が根城なり「パーメイラズ・イン」

 

 翌日、ホテルをチェックアウトする前にゲストハウスを探すことにした。といってもアテもないので、適当に電話帳をパラパラとめくって検討。実は旅立つ前にパソコン通信で情報を求めていたら、「カリプソ」というゲストハウスが安くて自炊ができる、というメールを頂いていた。まずは「カリプソ」の電話番号を控え、受話器を上げてみる。しかし残念ながら、つながらない。「仕方ないな…、じゃ次」と、電話をしたゲストハウスが「パーメイラズ・イン」というところだった。話をすると、部屋は空いている、と言う。渡りに船だ。そのままチェックアウトをして、タクシーに乗り込んだ。
 「パーメイラズ・イン」は、思ったよりきれいな白壁の建物だった。1階はあるじのゴーフィー氏が経営する会計事務所、1階の一部と2階がゲストハウスという造り。どうやらゴーフィー氏は地域の名士らしく、このゲストハウスも利益を求めるというよりも、ゲストハウスという形での社会貢献を目指しているようだった。いわばホテルとユースホステルの中間といったところか。部屋は、ちょうどシングルのいちばん下のクラスしか空いていなかった。1泊朝食付きで20米ドル(米ドルは比較的問題なく使える)、ただしテレビなしでトイレ・シャワーは共同。まぁ女性ならともかく、僕は男なので問題はない。
 ゴーフィー氏はインド人だ。どうやら僕の観た限り、あくまでも割合上の話ではあるが、会社の経営者や(見た目)上流階級の人々には比較的インド人が多いようだ。悲しいかな、逆に浮浪者には黒人が目につく。誤解していただきたくないが、僕はけっして黒人を嫌っている訳ではない。上下はともかく中産階級は黒人もインド人も入り交じり、それに混血が進んでいる事も間違いない。しかしインド人や中国人が「コミュニティ作り」と「商売」が上手なことは事実だ。数年前、地球の反対側のケニアに旅したときも、何故かみやげ物屋の店主は例外なくインド人だったことが、脳裏に甦った。
 経済的な力関係と人種関係、いろんな思いが交錯する。
 それはともかく。
 ゴーフィー氏は黒いサングラスをかけ、鍛えられた大きな身体をしていたが、温和な目を覗かせる紳士だった。彼は宿代を払い、部屋に行こうとする僕に話しかけてきた。
 「今から私たち家族は、ジュニア・パレードを観に行く。一緒に行かないか?」
 断る理由はない。ゴーフィー氏とその奥さん、そしてまだ6、7歳の娘さんと一緒にクルマに乗り込み、いざパレード見物へ繰り出した。

 

ジュニア・パレードで、ミニカーニヴァル体験

 

 この日は日曜日で、ちょうど一週間後にはカーニヴァルの当日が控えている。その前祝いといったところか、子どもだけの仮装パレードだ。色とりどりのコスチュームは学校ごとだろうか、クラスごとだろうか。ともかく凄い数の子どもだ。大きな羽根を付けているグループあり、竹馬で闊歩する少年あり。ゴーフィー氏のはからいで、通り沿いの2階にあるインド人のファニィハウスにお邪魔することになった。ここからだと、上からパレードを見渡せることになる。部屋の中ではインド人の宴会が始まっていて、日本人の僕を歓迎してくれた。

 カレー味のおつまみと、例のカリブビールを頂戴して、窓から果てるともない華々しいパレードを見物して悦に入る。ふと何気なく室内の壁を見ると、ヒンズー教の神々の絵に交じって、何故かサイババの肖像写真が…。「ここは一体どこなんだろ」と、思わず苦笑してしまった。
 我が根城となった「パーメイラズ・イン」は、クイーンズ・サバンナ公園、通称サバンナ公園から歩いて数分のところにある。ここはとても大きな公園で、日曜日には家族連れがお弁当持参でピクニックをしたり、子どもがサッカーに興じたりしているが、それでも大きさを持て余し気味…という印象だ。しかし、ここが年に一度、興奮の坩堝と化す数日がある。それがカーニバルだ。
 トリニダードトバゴのカーニヴァルは、リオのカーニヴァルと同じく、キリスト教のアッシュ・ウェンズデー(聖灰水曜日)の前の月曜と火曜、2日間にかけて行われる。「カーニヴァルのためだけに生きている」とまで言われるリオっ子程ではないにしろ、トリニダードのカーニヴァル熱もかなりのものだ。

 

「スティールドラム」、すなわち「パン」

 

 さてカーニヴァルももちろん楽しみだが、僕がトリニダードに来た最大の目的は、スティールドラムのコンテストを観るためだ。そのコンテストも、ここサバンナ公園で行われる。
 日本の資料を読むと、一部には「カーニヴァルの期間中にスティールドラムのコンテストが開催される」と記してあるが、それは間違いだ。正しくは「カーニヴァルの前前日に(つまり土曜)に、その年のチャンピオンが決定する」のだ。
 実はスティールドラムという呼び名はトリニダードトバゴでは一般的ではない。もちろん通じるが、普通彼らはスティールドラムの事を「スティールパン」もしくは更に縮めて「パン」と呼んでいる。
 パンは、ここトリニダードトバゴで生まれた。その歴史はここでは省くが、「20世紀最後のアコースティック楽器」と言われ、パンはトリニダード人の誇りであり、シンボルと言っても過言ではない。日本のテレビでは、某公共放送の終わりには日の丸の映像と君が代が流れる。それがトリニダードでは、国旗のバックはパンの独奏で国歌が流れている。
 トリニダードトバゴには、全土で100前後のスティールバンドがある。驚くのは、それぞれが120人前後の大人数で編成されていることだ。まさに「町の威信をかけて」の戦いだ。コンテストはまず国を4つのブロックに区切り、それぞれで予選を行う。そして予選を勝ち残ったツワモノだけが、晴れて本選会場-つまりサバンナ公園-に進むことができるのだ。
 ちなみにトリニダードで、スティールドラムの演奏を仕事としている人はほとんどいない。本職は別に持っていて、そういう意味では彼らはプロではない。しかし子どもの時からスティックを握りしめ、必至に練習を重ねてきた彼らは、どんなプロよりもプロ根性の塊と言えるのかもしれない。「1日5時間の練習は当たり前」、ある人は平然とそう言ってのけた。彼らはほとんど楽譜が読めない。しかし「メロディーは完璧に頭に叩き込んでるよ」と、再び平然と言ってのけるのだ。

 

いざ、「パノラマ」会場へ…

 

 トリニダードに着いて3日目の夜、それまで何だかんだと時間が取れずにいたが、やっとコンテストに足を運ぶことができた。
 サバンナ公園には特設ステージが組まれ、観光客やらバンドの応援やら客が入り交じっている。パンフレットには、その日の開演は午後6時から、となっていた。しかし、待てども待てども始まらない。おかしい。でも観客も、別に何とも思っていないようだ。最初はその雰囲気に酔っていたが、さすがに一時間以上も待たされると、いい加減シビレも切れてくる。やっと始まった頃には、時計は午後8時を回っていた。
 この時は、「名古屋時間」よろしく「トリニダードタイム」なる言葉があることも、僕は知らなかった。そう、ものすごく時間がルーズなのだ。しかし、そんなことで文句を言いそうなのは、日本人の僕くらいなようだ。使い古された言葉だが、やはり「郷に入れば郷に従え」精神が大事だ。
 このスティールバンドの年間チャンピオンを決めるコンテストは、「パノラマ」と呼ばれている。開始前にパンの独奏で国歌の演奏がある。この時だけは、みな直立不動で、演奏に聴き入っている。
 さぁ、いよいよパノラマの開始だ。この晩は、セミファイナル。全国から集まった20のスティールバンドが、今晩の審査で10に絞られ、決勝である明日のファイナル・コンペティションに勝ち進むことができる。国歌演奏の時の静寂とはうって変わって、会場中央には最初のスティールバンドがセッティングされ、その周りを地元サポーターが囲んでいる。演奏者には黒人が多いが、インド人も少なくはない。また、ごくたまに白人や東洋人の姿も見える。
 いったい、120人で奏でるスティールドラムの音色を、またその迫力を、あなたは想像できるだろうか? 驚愕、圧倒、いやいや言葉が見つからない。とにかくたまらないヴァイブレーションなのだ。
 曲の題材は、普通、前年に流行ったソカの曲が使われる。それを専任のアレンジャーがインスピレーションを駆使して、独自の曲に仕上げるのだ。演奏の最初は原曲がそのまま聞き取れる。だが、それも1コーラス目まで。あとはアレンジにアレンジを重ね、まったく別の曲に「進化」を遂げる。テクニックの技巧も凝りに凝ったものばかりだ。1曲はだいたい7~10分程度か。その間、サポーターも熱狂しっ放しだ。
 最初のバンドを聴き終えたそばから、僕には「すごい、すごい」の言葉しか出なくなってしまった。しかし、これは聴く方にも相当の体力が必要だ。それほどエネルギーが感じられる演奏なのだ。結局この日は深夜まで聴いていたが、さすがに体力の限界を感じ、明日のためも考えて午前1時に宿へ戻った。
 翌日、新聞を買って驚いた。僕が聴いた中ではいちばん「素晴らしい」と感じていたバンド「ポテンシャル・シンフォニー」が、昨日のセミファイナルで落選しているのだ。何故? と考えても仕様がないが、どうも納得がいかない。
 

トリニダードでグルメ漂流

 

 トリニダードでの食事は主にカレーが多いが、中華料理やシーフードもうまい。うまいものを食べようとすると当然のようにお金もかかるのだが、日本のレストランのことを考えると、ボリューム・味のコストパフォーマンスはすこぶる高い。
 宿の近くには「ホンコン・シティ(香港城酒家)」という中華料理店があり、よくここを利用していた。味は少し濃厚だが、店主をはじめスタッフはほとんど中国人なので、チャーハンも焼そばもなかなかいける。近くの雑貨屋の親父もそうだったが、トリニダード在住の中国人は、東洋人というだけで親近感がわくのか、みんな親しく僕に話しかけてくる。特にウエイターは「去年までマレーシアにいた。マレーシアのレストランでは日本のビールも扱っていた」と言う。銘柄を聞くと「チューメイ、チューメイ」と言う。わからない。そんなブランドのビール、日本にあったか? 仕方なく紙に書いてもらうと、そこには『秋味』と書いてあった。なるほどね。
 全くの余談なのだが、どうしてもラーメンが食べたい時があった。ところがご存じの通り、日本人がいうところのラーメンなるメニューは、中華料理には存在しない。トリニダードで「ヌードル」というと、だいたい焼そばのことで、いわゆる汁系の麺メニューはトリニダード人の口に合わないのか、メニューにも載っていないのだ。何軒か中華料理店を回ったが、「そんなメニューはない」という返事ばかり。厨房で黒人が鍋を振っている店ならなおさらだ。中国人の親父が営んでいる店をやっと見つけ、身振り手振りと筆談で、やっとのことでラーメンを作ってもらった。「ターミェンのことか!よし、作ってやろう」。彼は5年前に上海からトリニダードに渡ってきたそうだ。上海は金のことばかり、北京は嫌い、と愚痴とも世間話ともつかない話を独り言のように喋っていた。
 

トリニダードの昼の顔

 
 トリニダードトバゴという国は、じつは経済的にはけっして貧しい国ではない。もちろん、日本ほどではない。どだい日本と比べるのが無理な話であって(日本が異常なのだ)、カリブの国々の中で考えたら、経済力はかなり上のランクなのではないだろうか。

 この国では石油が採れる。だからこそスティールドラムなどという奇想天外な楽器も生まれたのかもしれないが…。トリニダードにある石油会社「AMOCO」の看板は、マイアミでもちらほら見かける程だ。果たして他の産業はというと不勉強でわからないが、僕が最初の夜に怖気づいた大通りは、昼は非常に活気づいた雰囲気で、恐さのかけらも感じない。大きなビルこそないが、ショッピングモールが立ち並び、生活に困ることは考えられない。この暑さでスーツをパリッと着たビジネスマン、学校帰りの学生たち、着飾った女性たち。肌の色と環境こそ違え、日常生活は日本とたいして変わらない。
 一度、ショッピングモールのフードコートでカメラを忘れそうになった。その時、後方から「おい、おい」と呼び止められ、カメラを忘れたことに気付いた。日本では当たり前だが、外国ではそうもいかない。
 しかし、現実は日本人が上っ面を見るよりも厳しいのは確かだ。雑貨店の商品棚には鉄格子がはめられ、ちょっとした大きな店には、必ず拳銃を持ったガードマンが常駐している。これには最初どぎまぎして「やっぱり治安は悪いんだな」と思っていたが、それは正しくも間違ってもいなかった。この国は「ガードマンが雇えるほどもうかってる店が多い」のだ。つまりは、豊かさの皮肉な裏返しなのだ。
 

レネゲイズの“華麗なる復讐”

 

 翌日のパノラマ・ファイナルは、同じくサバンナ公園で、これまた同じく午後6時頃からの開始が午後8時過ぎになって行われた。今回のパノラマの見どころ、それは「レネゲイズの復権なるか」だそうだ。
 国内に100以上を数えるスティールバンドの中でも、実績とテクニックを兼ね備えた“大御所”と呼べるバンドがある。レネゲイズはその筆頭クラスに位置し、前年度のパノラマでも下馬評はレネゲイズが断然有利だったそうだ。ところが、ライバルであるデスパレイドスに逆転優勝をさらわれたのだ。
 この落胆はあまりに大きく、失地回復をかけて今年のレネゲイズは気合い充分で臨んでいる--ということらしい。
 結論を言えば、このレネゲイズの執念は実った。ファイナルの審査発表の瞬間、いちばん最後にレネゲイズの名前が呼ばれると、サポーターの喜びようといったら大変なものだった。この時、深夜も深夜、午前4時である。うかつにも審査発表の時に居眠りをしていた僕は、サポーターの狂喜の歓声で目を覚ましたのだ。Renegades=反逆の背教者が、国家の英雄になった瞬間だった。
 こうして95年のパノラマは、レネゲイズの優勝という結果で幕を閉じた。ちなみにレネゲイズは翌年(96年)、翌翌年(97年)も優勝を飾り、怒涛のパノラマ3連覇を成し遂げている。
 

陶酔と熱狂のカーニヴァル

 

 「一大イベント」パノラマが終わったら、「最大イベント」カーニヴァルが動き出す。この数日ばかりは店も閉まり、観光客で突然ホテルがあふれ、物価が数倍に上昇する。サウンドシステムやスティールバンドのトレーラーが、音楽をばらまきながら街を闊歩する。華々しい仮装行列が繰り広げられ、その規模は1週間前のジュニア・パレードを鼻息で吹き飛ばす程の大がかりなものだ。カリプソやソカの大物がステージで歌い踊り、カーニヴァルのクイーンとキングが選出される。観光客を巻き込んでの「飲めや歌えの大騒ぎ」が数日間繰り返されるのだ。
 カーニヴァルは、植民地時代に支配者階級の白人が始めたものだ。その習慣が継がれ、今ではトリニダード全体の祭典になった。その熱気には、長く続いた被支配社会からの、誇り高い訣別という側面もあるのだろう。
 カーニヴァル最終日を待たずして、僕はトリニダードを後にした。日の出の頃、あの名刺のタクシー会社を使って、空港へ向かった。チケットの都合で仕方ないとはいえ、カーニヴァルの最終日が見られなかったことは、少々惜しいことをしたと思っている。
 早朝のフライトはカリブの美しい海が朝日で照らされ、上空から改めてトリニダードの地をまじまじと見つめることができた。1週間前、暗闇に降り立った時とはまるで別の、美しい島がそこにはあった。
 僕の乗ったプロペラ機の行く手には、次の行き先であるバルバドスが待っている。エンジン音の軽快な響きを耳に、いつの間にか僕はうたた寝をしていた。
 「レネゲイズ!」「レネゲイズ!」というサポーターの声を、頭のどこかに思い浮かべながら。
 

(了)