カリブ・トリニダード紀行 1998

 
1998年2月5日から24日までのカリブでの旅の記録を、日記としてまとめてみました。
今回の旅のスケジュールは
2月3日 成田空港発、マイアミへ(AA)
2月3日 マイアミ着
2月5日 マイアミ発、セント・マーチンへ(AA)
2月9日 セント・マーチン発、ドミニカへ(LIAT)
2月13日 ドミニカ発、トリニダード・トバゴへ(LIAT)
2月24日 トリニダード・トバゴ発、マイアミへ(AA)
2月25日 マイアミ発、成田空港へ(AA)
2月26日 成田空港着

という行程を辿っています。ちなみに「ドミニカ」とは「ドミニカ共和国」のことではありません。カリブの南部に位置する、人口7万人の小さな島国です。
トリニダードでは、宮崎マイケル・ロビンソン氏の実家にホームステイさせて頂きました。この場をお借りして深く感謝いたします。
 

●2月5日

 
 セント・マーチンへ向かう飛行機は、午前11時25分、定刻通りにマイアミ空港を出発した。実質的には3時間ほどのフライトだが、時差の関係で4時間ほどとなる。
 実は成田を出発したのは2月3日だったのだが、なぜかチケットの手配のミスで、マイアミで2泊もする予定になっていたのだ。これは大失敗だった。
 
 セント・マーチンは、以前から「面白そうだな」と目を付けていたところだ。何せ一つの小さな島なのに、南半分はオランダ領、北半分はフランス領というワケワカラン仕組みなのだ。まるで植民地時代の、欧米による土地の取り合いが、今でも続いているようだ(ちなみにセント・マーチンのオランダ領は「サン・マルテン」とオランダ語で言うのが正しいが、ここではメンドクサイので便宜的に「セント・マーチン」で統一している)。
 
 セント・マーチンに降り立ち、とりあえずダッチ・サイド(オランダ領)に向かう。安宿を紹介してもらい、ダウンタウンに居を構えた。シャワー・トイレ共同、1泊25ドル。テレビ・エアコンはなく、ファンのみ。まぁーこんなもんだろう。内心、50ドル以上を覚悟していたので、ひと安心だった。ダウンタウンと聞いていたのでドンナトコカと思ったが、何のことはない、オランダ領の中心地であるフィリップスバーグから、もう目と鼻の先の距離である。もっとも、歩いている内にカジノやブランドショップの多さに気付き「あ、ここがフィリップスバーグなんだ」と思ったのであるが…。
 
 フィリップスバーグは思ったほど大きくはない。が、華やかさはなかなか。ただし、何故か空き家の店が多かった。不景気なのか?わからない。歩いて歩いて突き当たると、ヨットハーバー?らしきものが見えた。隣接するビーチバーで、久しぶりに「カリブビール」を飲む。1本3ドルだが、ハッピーアワーにつき2本まとめて出てきた。しかし、何でわざわざコロナのようにレモンを入れて出す?好みの問題もあろうが、これには閉口した。なお後で気づいたのだが、「地球の歩き方」には、カリブがセント・マーチンの地ビールとして紹介してある。違うだろ、これはトリニダードのビールだぜ。そしてその写真にも、レモンが突っ込んであるのだった。
 
 2本も飲むとかなりいい気分。今までまともに酒を飲んでいなかったからか。ほろ酔い加減でホテルへと戻る途中、スティールパンがジャケットになっているCDを1枚買った。2枚の中から迷っていたが、1枚はトリニダード製ということで却下し、セント・マーチンのものを買う。店のあんちゃんも「こっちの方がいいよ」と言うから、信用してやった。
 
 新しい旅のお供、ラジオをセットして、FM放送に聞き耳を立てる。意外なほどFM局は多いようだ。たくさんチューニングを拾う。
 
 さて、夕食は何を食べよう。と思っていたが…。少し遅くに街に出たら、もうどこも閉店している。何てこった! それこそ、さっきのバーまで行けば何か食べれるだろうが…。でも、あまりお腹も減っていないので(どうしてだろう?)、明日から楽しもう。それにしても、セント・マーチンは夜が早いのか? もう少し、店が開いていてもいいのにな。ところで、やっぱり夜道は少し怖い。まぁーそれくらいの自己規制的な心は、どこかに持っていた方がいいとも思うが。
 
 ゲストハウスのおかみは、ドミニカ共和国の出身と言う。「わたしゃ英語が苦手でね」と言うが、僕よりはよっぽどOKだろう。もちろん。たまたま僕がプエルトリコのTシャツを着ていたから、親近感を持ってくれたようだ。
 
 蚊が多い。明日は香取線香を買わねば。とりあえず今日は日本から持参の虫除けスプレーで急場をしのぐ。セント・マーチンの蚊は小型で、滞空時間?が短い。日本の蚊のように、ふわあっと漂っていない(ほら、また横を通り過ぎる)。一瞬、ブヨの一種かと錯覚してしまうほどだ。気が付けば、手のひらやひざ頭など、厄介なところが喰われているが、いつの間にか寝てしまっていた。
 

●2月6日

 
 朝も早くから目が覚めてしまった。
 
 まだ夜明け前だ。しかし、夜明け前のセント・マーチンも面白いかもしれないと思い、外に出てみた。まだ人も極めてまばらな大通り。出勤前の住民やジョギングに興じる観光客の姿があるだけ。その中をてくてく歩く。気持ちいい。Tシャツ一枚で丁度いい気温だ。あのマイアミの寒さがうそのようだ。
 
 海に出てみる。沖には豪華客船が2隻、昨日から停泊していた。船上からきらきらと漏れ光る明かりを見ていると、さすが海上のホテルなんだな、と思う。
 
 7時頃になると、通学の児童が制服姿でやって来る。オレンジ色にチェックの制服の女の子がかわいい。みんな美人候補生だ。この制服は小学生向きのよう。中学生だか高校生だか、ほかにも制服は幾つかあるようだが、みんな落ち着いた感じである。
 
 今日はしっかり朝ご飯を食べようと思う。ゲストハウスから徒歩15秒にあるベーカリーハウスで、ブレックファストセットを注文。欲にかられた僕は「ハングリーマン」なるセットにした。すると、でるはでるは。焼きたてパン(小)6枚、パンケーキ3枚、ベーコン、目玉焼き2個、フライドポテト、紅茶、オレンジジュース。軽食どころの騒ぎではない。もう朝から満腹である。苦しい。努めて動き、腹を空かすようにする。
 
 そのまま再びフィリップスバーグを散策する。さっきとはうって変わり、ものすごい人手になりつつある。ほとんどは白人の、おそらくクルーズ客だろう。物売りのおばちゃんたちの呼び込みにも、熱が入ってきた。不思議なほど日本人の姿はない。ただ一度だけ、男の売り子に「ニホンジンデスカ?」と呼ばれただけだ。
 
 それにしても今日だけで何回、ミネラルウォーターを買ったことだろう?とにかく暑い。
 
 さて、ダッチ・サイドにはいろんなレストランがあって、食事には飽きない。中華、イタリアンはもちろん、インド、インドネシア、怪しげな日本料理店もある。その中から昼食はインド料理を食べることにした。店に入り、マトンカレーを注文するや「他に何か?」とくる。仕方なく追加でトマトスープを注文すると、一口飲んでこれがべらぼうに美味い。考えてみればここ数日、機内食ばかりでマトモな食事をしていなかった自分に気が付く。舌が貧しくなっていたのだろう。カレーそのものは少し塩味が効きすぎのような気もしたが、うまかった。
 
 土産物屋で、Tシャツを買う。自分には珍しく? デザインが気に入って。カリブの島々が一望できるこのデザイン、自分の羅針盤の一つとなることができるのか。さすれば、望外の喜びだ。
 
 晩メシは中華料理店で。マーボ豆腐と牛肉チャー麺、海外での中華ならではの、何というか、大味というか…大して美味くも不味くもない味だ。しかし量はある。これは選択のミスだ。ほとんどを持ち帰り用に包んでもらって、店を出た。帰り際に店の女の子が「カンチューから来たの?」と聞く。最初は意味が分からなかったが、後から考えると「広州」と言っていたのだろう。「ジャパン」とだけ答えると、少しびっくりしたようだった。
 
 フィリップスバーグは賑やかなブランドショップが並び、クルーズ船の観光客が立ち寄る以外は、ほとんど他のカリブの街と大差ない。また「昼の街」で、夕方過ぎになると、つまり、クルーズ客が船に戻ると、とたんに店も閉まり始める。あっという間にゴーストタウン化する。ちょっと小汚くて、にぎやかというより騒々しい。味気のないコンクリート造りの家が並び、その中に一つ二つ、かわいらしい家が見える…。トリニダードもアンティグアもそうだ。確かジャマイカも、あんな感じだったろう。
 
 ところで教訓。短パンやビーサンは、マイアミで買うべきだったこと。ここでは何でも高い。さすがはカジノの並ぶリゾートだ。
 

●2月7日

 
 腰が痛い。
 
 何てこった。ベッドで眠りっぱなしだから、だろうか?冗談じゃない。全く。やっぱり寝るのはフトンが一番?か。
 
 さて、タクシーでフィリップスバーグからマリゴまで行こうと思っていたのだが、宿の親父は「たった1ドル50セントだから、バスで行け。バスの窓に行き先は書いてあるから、迷うことはない。タクシーは高すぎるゾ」と、のたまう。幹線道路に行けば、すぐバス停があるらしい…。少々不安にも思ったが、まぁいい。時間もあることだし、そうしようじゃないか。
 
 大通りに出ると、果たして、オランダ語でバス停の標識がある。ただの交通標識といってもいいくらいの、簡単な立て札のようなものだ。とりあえず待っていると、もう一人、中年の黒人がやって来た。これは聞くしかない。
 
 「マリゴに行くのか?」
 「違うけど近くだ」
 「僕はここで待ってればいいのかな」
 「そうだ」
 
 そうこうしているうちに、バスが来た。しかし、そのバスは想像していた大型バスではなく、ライトバンであった。ぱっと目には、タクシーと区別が付かない…。
 
 「あれだ! マリゴ行きだ!」と、彼が僕に叫ぶ。バスには2度ばかり無視されたが、3度目に停まってくれた。バスに入ると「何だこの変な東洋人は」といった反応である。そりゃそうだろう、普通、観光客はバスなど使わない。ましてや、ほとんど見たこともない日本人など…。バスで30分ほど走ったろうか。バスは軽快に坂道を上ったり下ったり。こんな小さな島国で、何故ああも山が多いのか…。しかし、それ故、水も豊富なのだ。
 
気が付いたら、マリゴに到着していた。もちろん、国境も何もなし。「こんなんでいいの?」と、こっちが心配に思うほどだ。
 
 さて、マリゴである。降り立って、正直、驚いた。そのまんまフランスなのだ。ガイドブックに枕詞のように出てくる「熱帯のフランス」という言葉が頭をよぎる。思えば、セント・マーチンは島を南北にしてオランダ領、フランス領と分かれてはいる。しかし、実際には国境もないし、パスポート提示の必要さえないのだ。だから、これまでの雰囲気の違いがあるとは予想していなかった。
 
 ダッチ・サイドとフレンチ・サイド、これは全く別の島であると考えた方がいい。ダッチ・サイドではまず英語が出てくる。しかしフレンチ・サイドでは、最初に出てくる言葉はフランス語なのだ。わざわざ「英語で話してほしいか?」と聞くくらいだし、その英語も、仕方なく使っている、という感じだ。
 
 次に思うのはマルチニークとの相違である。カリブ海では「クレオール」という言葉がよく使われる。定義は曖昧で、ようは「フランスの影響下にあり、人種や文化の混合が進んだ状態」ということだ。定義が曖昧な分だけ、「クレオール」と十把一からげに言っても、島の雰囲気はばらばらだ。マルチニークはもちろん島1つがフランス領であり、ために独自の文化が成熟しつつあるようにも思える。そのためクレオール的な尺度は、マルチニークの方がより深いとも思える。それは街ゆく人たちの混血の度合いを見ていると、何となくわかる気がする。そう、マルチニークでは英語すら使えないときがあった程なのだ。セント・マーチンは今後どのような文化の発達を見せるのだろう。
 
 マリゴに着いて、まずはホテル探し。なるべく安い宿を、と思い、観光案内所に行くと、何と閉まっているではないか。唖然…。仕方なく、空港で手に入れたパンフレットを片手に、思いつくまま電話をしてみる。残念ながらマリゴ唯一のゲストハウスは満席であった。ではホテルは…いちばん施設が整っていなさそうな…。電話では1泊60ドルだそうな、まぁー、しようがない。
 
 道を聞けば、歩いていける距離だ。行ってみれば、何のことはない、マリゴの中心部からもほど近い、ヨットハーバーのすぐ目の前。これで60ドルなら、と納得してチェックインした。貧乏旅行と言いながら、冷房が感動的に涼しい。思わずニンマリしてしまう。
 
 昼食は、お楽しみの「フランスパンのサンドイッチ」である。カニの身がいっぱい入って、たった20フラン。ビール(カリブ)も付けて6ドル。感激である。これでお腹いっぱいになってしまった。
 
 気が付けば、巷は週末であるらしい。土曜日だ。みやげ物屋も明日は休みの所が多いらしい。マリゴを一通り回る。もちろん徒歩でだ。週末ということでフルーツ・マーケットも多く店を開いていた。特に何を買うわけでもないが、目を楽しませてくれる。ロータリーではアフリカ太鼓の大道芸人がグループで演奏会? を催していた。プリミティヴなグルーヴは、決して彼らが故郷であるアフリカを忘れていない証なのだろうか。ただ聴いているだけであったが、何か心にしみ入るものがあったことは確かだ。
 
 マリゴを一望できる高台にある、ルイス砦に上る。絶景だ。ぼうっと海岸線や街並みを眺めていれば、あのアフリカ太鼓が響きも爽やかにここまで鮮明に聞こえて来るではないか。半ば驚き、やはり狭い街なんだなぁ、と実感する。上る途中、また下る途中。どこからともなく香草(ハーブ)の匂いがする。これは何だ?タイ料理で使う、あの…。旅の思い出のかなり重要な部分は、「その国のニオイ」だ。しかし、いちばん記憶から遠ざかりやすい思い出でもある。何故なら、形として残らないからだ。
 
 いつものように? 昼寝をし、夜に目覚める。今日はハーバー沿いのレストランで「フィトチーネ・ウイズ・シーフード」をいただく。シーフードというよりも、アサリとイイダコといった方が正しいが…、まぁ、うまかった。カリブビール2杯で15ドル前後。バンドの生演奏も気が利いている。
 
 何と気持ちいい街だろう、セント・マーチン。やはり悔しいがフランスのエスプリは卓越した文化を醸熟するようだ。フランス語圏の文化は、その完成度に於いて他のカリブの諸地域を圧倒している。いや、それは「フランス海外県のリゾート」として、多少ながら安定した収入を得ているからかもしれないが…。
 
 夜。夕食の前に街で、トレーラーのサウンドシステム部隊が道を闊歩していた。警察の交通整理があったことを見ると、公認の行事なのだろう。週末だから、と言うこともあるかもしれない。ソカでもカリプソでもレゲエでもない、しかし、どれにも当てはまるリズムの嵐。トレーラーの後ろにぞろぞろ付いてゆく子ども達。国は違えど、やはりカリブはカリブなんだな。
 

●2月8日

 
 マリゴからフェリーで30分ほど行くと、こんどはイギリスの自治領、アンギラという島がある。今日は、ここへ足を延ばそうと思う。そう思ってカバンにタオルや替えの下着を詰め、いざフェリー乗り場へ向かった。
 
 フェリー(といっても人間しか乗れないが)は、まず窓口で出国税2ドルを払ったうえで、リストに名前や生年月日、パスポート番号、アドレスを記入する。そしてフェリーの中で運賃10ドルを支払うシステムだ。
 
 数十分おきに出るフェリーは、イスがバスというか飛行機というか、そんなシートをそのまま使っている。かなりボロい。6人掛けで12列あり、かなりの人数が乗れるはずだが、この時間は観光客が大半を占めた、20人ほどが乗船するのみだ。
 
 荒波を蹴ってフェリーは進む。30分も走っただろうか、アンギラが見えてきた。
 
 アンギラはイギリス領だ。しかし通貨はイースタン・カリビアン・ダラーだという。自治領という立場は、いったいどんなものなのだろう。いつもカリブの島を旅しつつ、思う。独立しているアンティグアやバルバドスさえ、国家元首は英国エリザベス女王だ。同じく「英国連邦」に加盟しているトリニダードは一応、共和制だし…。いわゆる相撲部屋制、一門制、といったほうがシックリ来るのだろうか。勉強不足であることを痛感する。ともあれ今まだ「いびつな」国家形態は、どうも理解を超えるところがある。
 
 何はともあれ、アンギラに「入国」。あまりにもあっけない入管の手続きは、パスポートを見せて、先に書いたリストと照合するだけだ。外に出ると、お約束のタクシー攻撃。実はサイフと相談して、¥徒歩で行けるビーチにしようと思っていたのだが…。
 
 「ショール・ベイはすごく美しいビーチだ。みんなここに行く」という運ちゃんの言葉に負けて、乗り込むことにした。タクシー代片道16ドルは高いと思ったが「これは決まった値段なのでまけられない」とくる(嘘ではないらしい)。
 
 約20分も走っただろうか。アンギラは「のどか」を絵に描いたような島だ。道にヤギが飛び出すのはおっかない限りだが、沖縄の田舎の風景も、こんなんだろうか…? と、勝手に想像する。
 
 ビーチに着くと「帰りは何時だ?」とくる。確かに見回すと、ビーチ周辺は賑やかながらタクシーの姿がない。時計の針は12時を回った頃だった。「じゃあ3時半に迎えに来てくれ」と言うと、往復分をまとめて払ってくれ、と言う。やっかりしてやがる、と思ったが、32ドルを渡して、ビーチへと歩いていった。
 
 ビーチバーでハンバーガーを食べ(焼き方も指定できる気合いの入った味は、かなりうまくてボリュームも満点だった。レアと指定したら、ほとんど赤肉で出てきた)、ビールを飲み、少しぼーっとする。
 
 考えてみたら、まともにビーチに来たのは初めてだ。これが本来の、ビーチの楽しさだろう。今日は少し天気が悪い。残念ながら波も高そうだ。しかし、ここまで来て泳がないテはない。そう思ってビーチチェアとシュノーケルセットをレンタルし、海へ繰り出した。
 
 思ったよりすぐ深くなるビーチだ。しかしちょっと泳ぐと、すぐにサンゴ礁が見えた。透明度が悪く、少々残念だったが、魚がたくさん見えかくれする。すばらしくカラフルという訳ではないが、魚は大きい。きらきら、きらきら。海の中では時間を忘れる。
 
 さて、陸に上がると、ウェイトレスが手招きをしている。「客のカップル(フランス人)が写真を撮りたがっているが、あなたはが一眼レフのカメラを持っているので、あなたに撮影してもらいたいと言っている」とのことだ。促成カメラマンとは面映ゆいが、まぁいいでしょう。そして、時間ぎりぎりまで撮影大会と相成った。これは我ながら面白かった。何よりもフランス人はスタイルが良いし、ポーズも決まる。思わず過剰サービスまでのアングルで撮ってしまった。さて、仕上がりがどうかは、わからないが。
 
 マリゴに戻り、ゆっくりして遅い夕食。昨日のビーチバーの隣の店で、今度はカルボナーラを食べる。最初はひどくおいしかったのだが、正直、少し気持ち悪くなってしまった。ビール2本も飲み過ぎだ。
 
 発見。セント・マーチンはテレビ局が2局しかない。そのうちのチャンネル1は、グアドループのテレビ局のものだった。これは驚きだ。いつか、一度はグアドループを旅しなくては。しかし、ホテルはあるのか?どう手続きするのか?疑問は残るが…。
 

●2月9日

 
 早朝、雨が降っている。
 
 雨音で目が覚めた。しとしと、しとしと。道理で昨日から天気が悪いと思った。雨期でも雨が降るのか…、しかし、すぐ止んだ。通り雨だったのか。
 
 8時30分に、ホテルをチェックアウト。歩いてタクシースタンドまで行き、一路、空港まで。フレンチ・サイドからダッチ・サイドに入ると、国境はないけれど雰囲気でわかる。オソロシや、セント・マーチン。
 
 「カジノはダッチ・サイドばっかりだ。フレンチ・サイドにはないよ」とタクシーの運ちゃんが話すので、理由を聞くと「知らないけど、フランス人はギャンブルが好きじゃないんじゃないの」というかなりいい加減な言葉が反ってきた。
 
 「今からドミニカに行くんだけど、どんな所か知っているか」と質問すると、「あー、昔はフランス領だったんだよ。だから料理はうまい。あと、自然がいっぱいの島だ。バナナの木がたくさんあるよ」と言う。続けて「パトワ語と言って、フランス語がブロークンになった現地語をしゃべる」そうだ。うーん、わからない…。
 
 飛行機は予定より遅れて11時40分にフライト。アンティグアを経由し、午後2時頃にドミニカに到着した。入管をパスし、空港を出ると、出た! いきなりの「タクシー? タクシー?」の大攻撃だ。それに輪をかけて、空港関係者?のおばさんが、まくし立ててくる。その勢いに怖気づくと、更に質問の勢いが増す。
 
 「旅行者か、それとも家に帰るのか?」(何と現地のカリブインディアンに間違われていたフシがある)
 「…旅行者だけど…(小声)」
 「旅行者か、じゃ何をしたいんだ。海か、山か」
 「…カリブインディアンに会いたいんだけど…(更に小声)」
 「じゃロゾーだ、ロゾー!」
 
 となり、いきなりタクシーを呼ばれてしまった。
 
 最後の抵抗のように「いちばん安い宿を紹介してくれ」と言い、タクシーに言われるまま乗り込む。あ~あ、こりゃ大変なことになっちまった、と思ったが、それは怪我の功名だった。
 
 運転手の名はフレデリック。どうやら僕が「カリブインディアンと会いたい」と言っていたのを聞いていたらしく、横からスルッと「じゃオレ行くよ」とばかり名乗りを上げた運転手である。彼いわく「どこに泊まるんだ? ギャラウェイ(LIATの機内誌に掲載されていたホテル)か? あそこは高い、やめとけ、もっと安いところ、そうだな、1泊20ドルの所を紹介してやるよ。それに僕はカリブ・テリトリーの通行パスを持っているから、何かと便利だ」。これは後から知ったのだが、彼はカリブ族の居住地への郵便物の荷受けも行っているのだ。そのため、ふつうのタクシーよりも居住地で顔が利くのだった。そして、少なくとも何の知識もない一ツーリストが行き当たりばったりで行くよりも、はるかに有意義な時間を彼は過ごさせてくれることとなった。もちろん、彼も仕事なのでそれなりの金は飛んでいったが、そこはそれ。満足度の問題である。
 
 ドミニカの道は、どこもロング・アンド・ワインディングロードである。海岸伝いだろうが、山道だろうが、どこも「うねうね」と曲がりくねっている。おまけに穴が多い。コーナーに多いから、これは「もしかしたら速度防止用にわざと開けているのか?」とも思ったが、どうやらそれは考えすぎだったらしい。
 
 彼はわざわざカリブインディアンのテリトリーにクルマを向け、一通り通ってみせてくれた。驚いた。余りに驚いた。道行く人、人。みんなモンゴリアンの顔ではないか。ネイティブなのに、本当のカリブ先住民族なのに、こんな所に押し込められているなんて。…。しかし、道行く観光客にハンドクラフトの露店を出していたりして、想像していたよりずっと『外界』と通じているようだ。もっと閉鎖的な世界かと思っていたが…、がっかりするような、ほっとするような。
 
 ドミニカはとにかく道が曲がりくねっている。しかも高低差はやたら激しい。「自然がいっぱいだ…水が豊富だ…」という、セント・マーチンのタクシー運転手の言葉が甦ってきた。それしにても、ここまでとは!一面に広がるヤシの木、たくさんのバナナ・プランテーション。山には雲がかかり、ここが高地であることを伺わせる。
 
 ロゾーは予想よりはるかに遠いようだ。何で首都と主要空港をこんな遠くに作ったのか、と首をかしげたくなる。それほど遠い。いや、地図上はそれほどでもないのだが、とにかく高低差があるのだ。しかも道は曲がりくねっている。
 
 目当てのゲストハウスに着いたときには、既に夕方近くになっていた。しかし、着いてわかったことは、ゲストハウスの場所は小さな空港近くのケンズフィールドという場所であり、ロゾーではないことだ。ここで少々不安になる。ロゾーでなくて大丈夫だろうか?と。何故なら僕はドミニカのことは何もわからないし、まずは観光案内所に行きたかったからだ。体よくつるんでだましやがったか、とも考えたが、まぁ話を聞いてみよう、と思う。
 
 かなり広いゲストハウスで、しかもキッチンネットまで付いている。ようは普通の家をそのまま貸家にしてしまった感じで、メチャメチャ広いのだ。しかも、1泊15ドルというではないか。とりあえず二泊の前金を払い、ひと息ついた。雰囲気としては、空き家にそのまま入居したようだ。しかし、住めば都、とはこのことだ。何よりも広いのがいい。
 
 それからすぐ、スーパーマーケットへ連れていってもらった。おそらくドミニカ一大きいだろう、しかし全ての品がビッグサイズで、とても一人暮らし向きの店ではない。こんな時にコンビニがあればいいのだが、という情けないことも考えてしまう。ちなみにコンビニなるものはカリブの島には存在していないようだ。流通経路が確立されていないのだろう。もっとも、24時間営業のスーパーは、セント・マーチンのダッチサイドで(看板のみ)見かけたが。
 
 ドミニカは僕には全く未知の国だ。日本語のガイドすら全く見あたらない。そのため、相談のうえ滞在中のガイドを彼にお願いすることにした。
 
 夕食は自炊である。でかい鶏肉(地鶏はドミニカ名物らしい)の半身を格闘するように蒸し焼きにする。自分でも情けないほど雑な料理。せめてポテトを添えたことくらいか…、料理らしいと言えるのは。
 
 夜になると、ゲストハウスのオーナーの息子がやって来る。広間にあるケーブルテレビを見るためだ。彼はかなりのテレビ好きらしい。絶え間なくリモコンでチャンネルをいじっている。彼と一緒にテレビを眺め、しばらくして寝に入った。
 

●2月10日

 
 朝も早くから目が覚めた。今日の献立は--目玉焼きとパン、昨日の残りのじゃがいも、そして、日本から持参のみそ汁だ。
 
 結構がつがつ食べる。特に昨日あれほどまずく感じたジャガイモが、一度フライパンで焼いてみるとことのほか美味しいのは発見だった。そして、日本から持参したみそ汁である。
 
 タクシーは約束通り、朝9時に迎えに来た。「水着は持ってきたか?今日はまず河で泳ごうと思ったけど、大きなクルーズ船がロゾーに来ているんだ。だから今は観光客で一杯さ。だから、後にしよう」と彼。ここは彼に任せよう。
 
 まず、高地のセントラル・フォレスト・リザーブへと向かう。セントラル・フォレスト・リザーブは、ひたすらの高地である。道の両側をシダのような植物が覆い、リゾートホテルもいつくも建っていた。台湾系の資本も入っている、という。途中、ドミニカ一の河であるラーユン川を通過する。昨月の末に氾濫を起こしたとかで、道も周辺のバナナプランテーションもメチャメチャになっていた。ドミニカには365もの川があるという。「1日1つの川、1年分あるんだ」というのがドミニカ人の自慢だ。
 
 車中で、ドミニカの植物について教えてもらう。粉末にして食用にする、カッサバ。ジャガイモのような根菜系の植物、ラシーン。中はジュースのように飲むが、外身は皿やクラフトの材料になる、カラバッシュ。いろんな植物がある。どれも、日本人には馴染みのないものばかりだ。バナナにしても種類がある。
 
 さて、次に昨日の道を逆走するような形で、カリブ・テリトリーへと向かう。
 
 カリブ族は今はハンドクラフトとバナナ・プランテーションで生きているようだ。カリブ族の人達は写真嫌いだ。シャイというもんじゃない。あからさまに嫌そうな顔をする。そりゃそうだ、見せ物じゃないんだから。そう考えると、当然のことだ。それでも、みやげ物を買ったら、イヤな顔をせずに笑顔でファインダーに入ってくれた。彼らの顔はまさしくモンゴリアンだ。ファインダーを通すと、まざまざとそれが実感できる。そしてわざわざ、カリブ族のチーフ-昔なら酋長と言ったろうが-の宅を、訪ねてくれた。
 
 彼の名はミハリー・フレデリック。一見すると、小柄で気のいい中年のおっさんという感じだ。彼によると、カリブ・インディアンはここ15~20年でかなり混血化が進んできているようだ。
 
 彼の説明によれば、カリブ族は他のアメリカ大陸のモンゴロイドと同じく、アジアからベーリング海峡を伝ってアメリカ大陸に渡り、大きく南下し、今度は南米ガイアナから船でカリブ海を渡り、この近辺にたどり着いたらしい。カリブ族とアラワク族の違いを聞いたのだが、残念ながら僕の未熟な英語では何も聞き取れなかった。久しぶりに、英語力の未熟さを真剣に悔やんだ。こんな事なら、せめてレコーダーだけでも持参すべきだったのだ。用意も周到ではなかった。残念。
 
 それはさておき、現在、テリトリーに住んでいる人は3400人という。しかし子どもはセカンドリーハイスクールに通っているし、医者や先生になったり、大きな家に住んだり、ようは社会的な地位につく人もたくさん出てきた。民族のことに固執すべきではない、と、チーフは言う。確かに、もうそういう時代なのかもしれない。
 
 次に、カリブインディアンの集落に向かう。ここで、インディアンのおばあさんと話すことができた。彼女の名はジェーン、つい先月に77歳になったそうだ。庭先で、バナナの混ぜものを昼食として食べていた。バナナを炒めたり煮込んだりするなんて…と、今更ながら驚かされる。彼女の息子は画家で、家の一番奥がそのアトリエ?になっていた。水彩あり、版画あり、油彩ありと「本当に一人で描いたのかな」とも思ったが、それはいい。彼女は純粋なオリジナルだ。しかし彼女の孫であろう、かわいい赤ん坊は、どう見ても黒人の血が混じっているようだ。「あなたはオリジナルか?」との質問に、当たり前だ、というような顔をして「イエス!」と答えた彼女。でも、最近は混血が進んでねぇ、というようなことも話す。別に差別意識がある訳ではないだろう。しかし、たった3400人の中の混血化の進行という事態は、いつかオリジナルのカリブ族が滅びる、ということも容易に想像させられるのだ。それでも、孫を抱いている時の顔は、まさしく「優しいお婆ちゃん」そのものだった。
 
 これがクレオールということなのだろうか。しかし、それはドミニカ全体に当てはまることだ。なぜなら、僕はフレデリックのことは黒人だと信じて疑わなかった。しかし彼もまた、いろんな血が混じっている、という。彼らはそれを、「ミックス」と表現する。ミックス-まさに、クレオールの文化を象徴する言葉なのだ。ちなみに、白人と黒人の混血を「ムラトゥー」とも言うらしい。
 
 フレデリックがタクシーを降り、電話をかけている間、近所の小学生が「チャイニーズ! チャイニーズ!」と言って寄ってきた。こちらも暇だったので、空手の真似事をして遊んであげた。みんなクンフー映画が好きなんだろう。一生懸命、蟷螂拳?のポーズを取るのだ。子どもはかわいい。しかし、この子ども達が大人になったときに、ドミニカのミックスは更に進んでいるだろう。願わくば、それが良い方向に行くことを願うのだ。
 
 ドミニカの観光名所「エメラルド・プール」に向かう。本当にエメラルドの色なのには驚いたが、まぁー、赤目四十八滝ならぬ「ドミニカ数滝」という感じだ。残念だったのは、もう日が陰ってきていたことだ。ここも、こんな時間というのに白人の観光客でいっぱいだった。涼しい。ぼーっと岩に腰掛けている白人の叔父さん、気持ちは良くわかる。
 
 夜はロゾーへと向かった。初めて見るロゾーは、カリブのどこでも見るような、小汚い街だった。せめて首都である証明は、ケンタッキーがあることか。フライドチキンを買い、2人で海岸沿いでパクついた。
 
 フレデリックは言う、「今日は静かだ、静かだ」と。この時期、日によってはカーニバルのイベントで大騒ぎになるそうだ。ちなみにドミニカのカーニバルはトリニダードと全く一緒の日程だ。華やかさは比べるべくもないが、それなりに観光客も多く訪れるそうだ。
 

●2月11日

 
 朝はかなり早く、まだ夜明け前に目が覚めてしまった。パッションフルーツを食べながら(と言うより、ほじくってすすりながら)ケーブルテレビのCNNを見る。長野五輪の結果が気になってしようがないのだ。しかし、「え~?」と思うくらい、扱いが簡単。「そんなものよりNBAとNCAAの方が大事だぞ」という感じである。
 
 午前中はゲストハウスでゆっくりし、午後から行動を開始する。午後1時、フレデリックがやってきた。まず彼が向かったのは植物園である。国鳥である「シスルー」が飼育されているからだ。近い種の「ジャコ」も一緒に飼われていたが、これはカリブ全域にポピュラーに生息する鳥らしい。方やシスルーは、ドミニカにしかいない種で、しかも乱獲がたたって絶滅の危機にもあるという。
 
 植物園の中ではクリケットに興ずる少年たちがいた。ドミニカに限らず、クリケットは英国圏の「南カリブ」一帯で人気が高い。野球をしている子ども達は見かけなかった。ただしバスケットボールは、ネットが所々にあったが。あとはサッカーか。クリケットは、ウェスト・インディーズでチームを作っているのだそうだ。「人気選手は誰なんだい?」と訊くと、「そうだな、ブライアン・ヒラー(ウエスト・インディーズのキャプテンらしい)やカール・ウーパーとか」と言う。もちろん知らない名前ばかりだ。
 
 タクシーは山の方向に入っていった。一見して、田舎とわかるたたずまいだ。ひたすら坂道、山道、そして電柱は木造である。程なくすると、スプリング・フィールドとチャファルダとの分岐点に来た。クルマは右へ曲がり、スプリング・フィールドに進路を取った。
 
 道中、いろんなプランテーションを見かける。僕はプランテーションと言えばサトウキビかバナナと思っていたのだが、さにあらず。かつてはバニラビーンズやグレープフルーツ、オレンジ、コーヒーなどさまざまな品種が作られていたそうだ。いや、今でも作られているそうだが、その数はかなり少なくなってしまった、という。
 
 スプリング・フィールドは、火山性のわき水-いわゆる温泉、だ。もっとも、人が入ることはないようだが。行ってみると、何のことはない、ただのわき水のよう。白く濁り、ごぼごぼと白い湯を噴き出している。ガイドのアールいわく「5分でゆで玉子になるよ」とか。おそらく、100度近い温度はあるのだろう。笑ったのは、その成分を粉末にして販売していたことだ。「蚊除けになる」と言っていたが、そういえば阿蘇山でも似たようなことしてたな。考えることは万国共通である。ここは、はっきり言って、火山国の日本人にはショボいスポットだ。ただし、ハードなハイキング覚悟で山を登れば、山の奥に大きな温水(熱水?)の湖が開けているらしい。
 
 アールは彼は山の頂上に住んでいるそうだ。22歳、独身。黒人系の、陽気なドミニカンである。帰り際、彼が自転車で帰って行くところを見た。あんな坂道を…と思うと、イヤはや、大変だなぁ、と思う。
 
 道を引き返し、次にチャファルダに入る。村の入口が国定公園になっているらしく、EC5.3ドル(US2ドル)を払い、入村。程なくすると、、今までとは比べものにならないほどの急坂だ。こんな所にもゲストハウスが幾つもある。
 
 車から降り、チャファルダに向かう。たどり着くには、最初はなだらかな坂道を降りるだけだった。そのうちに展望台があり、確かに眺めはいいが「なんだぁ、これだけのことか?」と思うが、その先があったのだ。
 
 その先は岩、岩、岩。思わず足がすくむ。仕方なく途中でサンダルを脱ぎ、カメラを首にかけ、裸足で岩にしがみつく。滝はみるみる近くなり、その水しぶきがかかる所まで寄れた。しかし、何てこった。みんな気持ちよさそうに泳いでいるじゃねえか。しまった、水着を忘れた!!! と気がついても、後の祭りでだ。仕方なく、ぼーっと、涼しい空気を吸って、ぼんやりと水しぶきを眺めていた。全身に、小さな飛沫が飛んだ。カメラを気にしつつも、気持ちのいいことといったらなかったのだ。これで泳げたら、どんなに良かっただろう。
 
 ずいぶんのんびりした後、ロゾーの近くの高台に行った。もともとはフランスの要塞があった場所らしいが、英国軍によって破壊され、今では警察学校や政府関係の施設がある公園として整備されている。今は昔の大砲も、そのまま残っていた。高台の上に建つキリスト教の集会所。英国が建てたらしい。これはその昔、灯台のような役目をしていたらしい。今ではカソリックの信者が週末や夜に祈りを捧げている。
 
 カリブの島々は、余りにも教会が多い。日本人から見ると尋常でないほど多い。「日本だって寺や神社がいっぱいあるでしょ」と言われると身も蓋もないが、得てして皆、敬けんなクリスチャンであり、日曜学校ともなればいそいそと出かけてゆくのは、少なからずの驚きでもある。
 
 夜は、カリプソ・テントに。これはドミニカの若手カリプソシンガーのイベントである。ジャークチキン(ドミニカではただバーベキューと言うらしい)を食べ、開場を待つ。結局、始まったのは10時頃か。のどかなもので、「ウチの村のやつが出ている」という理由で応援する。まるで高校野球みたいだ。それでも、個人的には非常に楽しめた。1時間ほどで切り上げたが、イベントは朝方まで続くらしい。
 

●2月12日

 
 今日は取り立てて予定を入れていない。最終日はゆっくりしないと。午前・午後とも食事を作るに留まり、比較的ぼ~っと過ごす。テラスから海を眺め、昼からビールを飲む。いやはや、やっとリゾートという感じである。その他は、宿のおばちゃんと話をして、下の階を見せてもらったことくらいだ。
 
 この日、たまたまドミニカ駐在の日本人と話をすることがあった。話の中で知ったことを幾つか・・・。
 
 カリブ族はあそこが特別居住地になっているかわり、議員枠が設けられているなど、特別扱いされていること。
 
 こんな狭い島でも、地方によりかなり方言があること。 ムラ意識が非常に強いこと。
 
アメリカとは(意外と)仲が悪いこと。昔、バナナ関係でひどい目に遭ったらしい。現在、バナナは全て英国に行っている。
 
 ドラッグが比較的蔓延していること。仕事がないから、余計、してしまうこと。
 
 まぁ、人口7万人の国である。色々ない・ある方が自然といえよう。何てったって、名古屋市の7分の1の人口なのだから…。
 
 夜は海沿いのホテルのレストランでディナービュッフェを食べる。フレデリックは一生懸命、(ディナーのお供を探すため)ナンパに励んでいたようだが、不発に終わったようだ。やれやれ。
レストランの隣のロビーでは、ホエール・ウォッチングの講習を行っていた。ドミニカでは鯨が見えるのだ。もし次回行くときは、是非とも見てみたい。そう思い、英文の観光案内をごっそりもらって帰ってきた。果たして、役に立つ日はくるのだろうか。
 

●2月13日

 
 ドミニカの空港に着いたのは、夕方前の3時30分を回った頃。これから飛行機を乗り継いで、いよいよトリニダードに向かう。思えば、ドミニカでは幸運にも楽しい旅ができた。ゲストハウスの主にも、タクシーの運ちゃんであるフレデリックにも良くしてもらった。なかなか好印象の国だった、と思う。
 
 飛行機の出発は少し遅れて午後5時30分。いつものLIATで、マルチニークを経由してセント・ルシアへと向かい、さらに乗り継いでトリニダードだ。ここで少し事件発生。何とマルチニークで乗務員が客のチェックをしたところ、アンティグア行きの黒人青年が間違えて乗っていた。愕然とする乗務員。うろたえる客。彼はそのままマルチニークで降ろされてしまったが、あれからどうなっただろう。もう時間も遅い、アンティグアまでのフライトの便はあったのだろうか。それいにしても今回は傍観者だったが、いつ何時、自分の身にふりかかるや、わかったもんではない。
 
 トリニダードに着いたのは午後9時である。ピアルコ国際空港に到着し、懸念のイミグレーションを何とか通過し、空港の外に出た。誰か迎えにきているはずなのだが・・・、誰が誰なのかわからない。何と名古屋グランパスエイト(!)のユニフォームを着ていた黒人のアンチャンがいたので、それとなく聞いていたが、ぜんぜんの人違いであった。
 
 待っていても何もわからない。途方に暮れてフォンカードを買い、電話をしようとしていた矢先、一人の黒人青年が話しかけてきた。「東京から来たのか?」と彼は言う。「何だ人違いかよ」と思ったが、もしやと思い、「いや、東京からじゃないけど日本から来た。ロビンソンさんの知り合いか?」と逆に聞いてみると、向こうもほっとした顔をして「イエス!」と言う。あぁー助かった(フォンカードが無駄になってしまったが)。彼の名はブリンズキー。マイケルの友人の青年だ。
 
 自分にとっては3回目のトリニダードだ。思えば3年前、何もわけわからずにとりあえず「来た」という頃からすると、信じられないくらい身近な国になった。しかも今回はトリニダードに10日以上も、しかもホームステイでの滞在だ。
 
 ステイするアリマという町は、首都ポート・オブ・スペインからはタクシーで45分ほどかかる「地方都市」だ。空港からは20分ほどだろうか。やっと?たどり着いたロビンソン家は、住宅街の一角にあった。
 
 話には聞いていたが、まず、その子どもの多さにビックリ。6人もいるので、最初は誰がだれだかわからない。後からわかった事だが、3世帯?同居なのだ。東京で買ったミルキーやら笛のアメやらを与えると、もう大騒ぎである。とりあえずほっとするが、取り合いの喧嘩も始めてしまう。うーん、やれやれ。
 
 程なくするとカートが帰ってきた。彼は鹿児島の「宝島」でパンの演奏指導を2ヶ月も行った人物で、この家の中では家長的な存在だろう。マイケルの兄だが、体格はマイケルの方が大きい。ロビンソン家はパン一家だ。男の兄弟は4人(妹が1人、近所に結婚して暮らしている)。長男はアメリカに住んでいる。次男がカート。レネゲイズのメンバーだ。三男がイアン。彼は近所のパンヤードでパンの制作をする。デスペラードスと縁が深いそうだ。そして末っ子が、いま宮崎に住んでいるマイケルである。考えてみたらマイケルはフェイズIIでプレイしていたはず。となると、兄弟で関わっているバンドがバラバラというのも、なんか不思議だ。
 
ご飯をいただき、早々にバタンキュー。それでも子どもたちは家中をバタバタと走り回っている。考えてみれば明日から土曜・日曜。明日も朝から賑やかなことだろう。
 

●2月14日

 
 今日はバレンタインデーだ。しかしそんな日本の浮世のことは(笑)ここでは通用しない。もっともトリニダードでも、キリスト教徒にとっては大事な行事の一つらしいが。
 
 朝は9時頃には目が覚めていた。朝食の後、カートに近くのパンヤードに案内してもらう。彼は「このパンヤードは小さい、小さい」と言っていたが、本当に小さい所だった(笑)。しかし大きさはともあれ、初めてみるパンヤードである。僕にとっては感激もひとしおだった。パンヤードの周りには、錆びついたボロボロのパンがいくつも転がっている。僕にとっては宝の山のようだが、今となっては只のガラクタなのだろう。
 
 パンヤードの中にあるパンは、全て「トラディショナル」なスタイルのものだそうだ。今日初めてわかったのだが、「トラディショナル」とはパン・ラウンド・ザ・ネック(パン・オン・ザ・ネック)、つまり首にかけて演奏するスタイルのもので、必然的にセカンドもギターも、ベースでさえもシングルになる。ベースを首にかけるなんて、見るからに重そうだ。と思ったが、本人たちは「チョロいもんさ」という顔をする。これだからもう、外人は・・・。
 
 マイケル家にあるパンはローテナー。しばし練習させてもらう。音はかなりいい、と言うか、自分の好みのエクセレント?な音だ。
 
 練習用の曲をカートに教わる。後で知ったのだが、これは今回のパノラマにおける、レネゲイズの課題曲なのだった。しばし練習に励む。しかし、後半に入ると前半のフレーズを忘れてしまう。情けない。
 
 テレビでは「外国に現地工場を造った日本企業」をドラマをしていた。変な日本人だ。日本語も棒読み、発音もおかしい。おそらく俳優は中国人か、日本語の理解できない純日系2世だろう。
 
 飛行機から降りたら、赤絨毯の上を靴を脱いで歩こうとした。
 朝の朝礼でいきなりネクタイ姿のまま体操を始めた。
 多勢でよってたかって「ドーモドーモ」と言いながら名刺を差し出す。
 食事はカップラーメン(しかもどう見ても日本製とは思えない)。箸は中国箸。
 意味もなく事務所に薬罐があり、湯飲みには芸者のプリントが。
 ヘッドオフィスに何故か海苔を常備。
 
 ただ、日本人だから「おかしい」と思うだけで、実際は日本人も中国人もゴッチャになっているから、「この日本人はおかしい」と説明しても、あまり意味がない。どうしても日本人のイメージかをすれば、そんな感じになってしまうのだ。
 
 午後、カートが日本人の男性を呼んでくれた。彼の名はTさん。海外技術援助の関係で、こちらに来ているのだとか。彼の奥さんは現在は出産で日本に帰っているのだが、トリニダード滞在中は、カートにパンを教わっていたのだとか。しかし、お会いして笑ってしまった。以前、一度「ホームページ見ました」というメールを頂いたことのある方だったのだ。世間は狭い(笑)。
 
 Tさんからいろんな興味深い話を聞いた。
 
 この時期、トリニダード行きのチケットは、何とキャンセル待ち500人だということだ。話によればリオのカーニバルがかなり危険になってしまっているので、欧米の旅行社も「これからはトリニダードのカーニバルだ」と売り込んでいるそうだ。あるドイツ人は、キャンセル待ちの嵐の中を何とかホテルまでたどり着いたら、そこはトバゴだったという(笑)。慌ててトバゴから移動しようと思ったらトリニダード行きのエアも満席だった、とか。この時期、何故か日本人の(事業協力)関係の来訪も多いらしい。T氏は「この時期は止めてくれ、って言ってるんですがねー」と苦笑していた。ホテル代も倍にハネ上がるからだ。
 
 昨年の日本人のトリニダードトバゴ渡航者は、300人程だったとか。少ないが、これでも例年よりは多い数字らしい。
 
 トリニダードでは今まで金曜日に、偶然にも政変が起こる。そのため、金曜日になると、変な怪情報が出るときがある。昨日の金曜日には、「大統領が死んだ」というウワサが駆けめぐったようだ(大統領は、本当に心臓病で具合が悪いらしいのだが)。
 
 夜はポート・オブ・スペインへと向かう。今夜は、レネゲイズのパンヤードに案内してもらうのだ。というか、カートが練習に参加するので、ついでにそれを見せてもらう、という感じだが…。
 
 MAXI-TAXIに乗り込み、ポート・オブ・スペインへ。あれぇ、こんなモダンなバスターミナルなんてあったっけ、と驚く。そこから少しだけタクシーに乗り、サバンナ公園の近くにレネゲイズのパンヤードはあった。時計を見ると、9時前である。既に練習はガンガンに行われ、観光客も多数集まっていた。カートは「じゃな、楽しんでてくれよ」と言わんばかりに、いそいそとバンドの中に混じっていった。
 
 練習曲は、ビートルズの「ヘイ・ジュード」。「えぇ、これパノラマでやるのぉ?」と思ったが、そんなことはお構いなしに、欧米人の初老夫婦などは、ダンスで楽しんでいる。まぁー、悪い曲ではないが・・・。少し複雑な気分。しかしこれは僕の思い違いであった。後でぼくがカートに聞いたら「これは明日演奏する曲だよ。パノラマの曲は、“もっと難しい”よ」。なるほど。
 
 壁に目をやると、その時、初めて「そうなのか」と思った。新聞の切り抜きやコピーが貼ってある。よくわからないが、何かパノラマのシステムが変わったようなのだ。日本でもらったカーニバルのスケジュールに「セミ・ファイナル」がないのも、レネゲイズがこの時期に「ヘイ・ジュード」を演奏するのも。おそらくセミ・ファイナルはすっ飛ばされてファイナルまで行き、この時期は「ただのイベント」としてパンを演奏しなければならなくなった、らしい。システムの改変は、かなり風当たりがキツイようだ。来年はどうなるのだろう。
 
 練習は延々と果てしなく続いた。途中でカリブを2本飲み、いつの間にか眠くなり始めていた。少しツライ。カートは心配して、時に「大丈夫か?」と声をかけてくる。しかし妙なもので、12時あたりを過ぎた頃から、眠気が消えていった。最後のあたり-2時頃だろうか-には目は爛々としていた。
 
 あの人物が、ジット・サマルーか。なるほど、百戦錬磨のインド人という感じである。見ていてもよくわかるほど、次々とアレンジに変更を出してくる。それに対応する技術はかなりのものが要求されるだろう。じっさい、ベースのパートなどは、最後まで戸惑っているメンバーもいたようだ。
 
 それにしても、ストイックとまでも言えるパンへの姿勢には頭が下がる。そこまで彼らは真剣なのだ。プレイヤーの何人かは白人だった。彼らはゲストなのか? 僕には見当がつかない。
 
 帰宅、午前3時30分。カートはそれからテレビを見始めた。早く寝た方がいいのに。
 

●2月15日

 
 今日は日曜日だ。妙に暇な一日になる。パンを練習しようにもカートが昨日パンを持っていってしまったため、練習もできない。子どもと遊んだり、ぼーっとテレビを見ていたりして時間が過ぎてしまった。
 
 テレビでは、夕方からサバンナ公園でのイベントの中継が行われていた。「Pan to the 21st century」というイベントである。昨日、カートが練習していた例の「ヘイ・ジュード」も、ここで演奏されるのだろう。イアンと夜にサバンナ公園に行こうと思っていたが、イアンいわく「疲れるだけだから止めておけ」と言う。テレビ画面を見れば、観光客御用達の「グランド・スタンド」にはツーリストの白人の姿が見えるが、肝心の自由席の方はガラガラのようである。イアンは隣で「全く、TIDCOも馬鹿なことしやがって」とか口走っている。
 
 今日の収穫?は、子ども達に「アッチムイテホイ」を教えたこと。じゃんけんで「アイコデショ」が言えず、そのうち「アッチムイテ…」と混同してしまうのはご愛敬。トリニダードに根付くと面白いのだが。
 
 夜は何をするともなく午後9時過ぎには眠くなり、そのまま眠くなってしまった。エアポケットのような一日だった。
 

●2月16日

 
 今日は一日中、曇りがちの天気だった。しかも雨は突然、それもかなり強烈に降る。なぜか僕の滞在中、トリニダードは天候不順だった。以前はそこまでひどくなかったような気がするのだが・・・。
 
 午前は、銀行に行くためにアリマの市街地へ。イアンが連れていってくれた。帰り際、ロティをイアンと食べる。丸々としたラップ状態のロティ。食べるのに一苦労だった。マンゴのロティがあったのに驚く。カレーにマンゴなんて、どうかしてるぜ。と思うのは、僕が日本人だからだろう。雨が降らないうちに早々にアリマは退散した。
 
 午後、写真を撮りに行こうと思った。ロビンソン家の道向かいには、ブードゥー峡の教祖の家にがある。でかい旗が何本もはためいていて、壁は赤くぬられている。それだけでも異様な雰囲気だ。庭先に大きな黒ヤギが鎖につながれている。そのうち「儀式」に使われてしまうのだろうか? とりあえず写真に撮っておこうと思い、パチパチやっていた。と、向こうから「ヘーイ、ヘーイ」と呼ぶ声がする。カートだ。友人と一緒にいるから、写真を撮ってくれ、という。3人並んでパチパチ撮ると、中央のやたらデカくて派手な衣装をまとっている黒人のおっちゃんを指さして、カートは言った。「あのヤギはこのオヤジの家のヤギだぜ」。・・・げ。そうなのだ。彼こそがブードゥー教の教祖様だったのだ。う~むむ、世間付き合いとはげに恐ろしいものよ。
 
 ちなみにカートは(記念)写真が大好きだ。道行く家に声をかけて友人を呼び出しては、一緒にファインダーに収まり、今度はカートがカメラを握り、僕を被写体の側にする。「世話好きなカート」と聞いていたが、なるほど、と思う。「モンダイナーイ」「シンパイナーイ」を連発するかと思えば、「ツカレタ?ツカレタ?」と訊いてくる。
 
 その後、時間があったので、おとといの練習曲の続きを行う。やはり、ほとんど忘れている。一からやり直し、だ。僕が練習していると、子ども達がよってくる。「何してるの?」でなく、「これはこうやって叩くんだよ」というレクチャーである。そのうちパンを取られてしまうこともしばしばである。
 
 パンは、やはり高音が上手く音が出ない。特にローリングなどやろうもんなら、モソモソッと言う感じの音だ。「どうして綺麗な音が出ないのかな」とカートに聞くと、彼はニカッと笑って、一言「プラクティクス、プラクティクス(練習、練習)!」と言うのだ。確かに彼が叩けば、同じパンなのに見違えるような素晴らしい音色が紡ぎ出される。パンヤードにあった、メッキのはげた古いパンでもそうだった。あくまで想像だが、叩く力がかなり強靱なようだ。スナップがきいているのか? しかし、それをコントロールするのは、やはり「プラクティクス、プラクティクス」しかないのだろう。
 
 今夜は再びアリマに。トラディショナル(パン・ラウンド・ザ・ネック)の最終予選があるらしい。大きなスタジアムが会場らしいが、イアンの目的はそこではないようだ。見ると、首からパンをぶら下げたトラディショナル・スタイルのスモールバンド(といっても40人編成!)が、あちこちで最後の街頭練習をしているのだ。練習なので途中で演奏を止めることもあり、細かな調整が繰り返される。あくまで「これは本番じゃないからね」といった雰囲気である。それでも、多勢の聴衆に取り囲まれ、初めて見るパン・ラウンド・ザ・ネック。素晴らしい演奏を聴かせてくれた。間近で見られ、迫力満点だ。「首かけパンか・・・、ここまでこれるのに何年かかるだろうな」と、ふっと思った。日本でもやらなきゃ。時間はかかるけど。
 
 しばらくの間、会場をうろうろする。すると、今年の東地区のコンベンショナルのチャンピオンである「ニュートンズ」の練習が始まった。これもまた、かなりの間近で見たのだが、すさまじい迫力に圧倒のされっ放しである。地響きのように地面からパンのサウンドがズンズンと伝わってくる。考えてみたらパンのスカートはほとんどの場合、下を向いている。とすれば、パンのサウンドはいちど地面へ叩きつけられて、地面から流れるように耳に響くのか。曲は、デビッド・ラダーの「ハイ・マス」。この時、初めて聴いたのだが、後から考えれば、この曲こそが今回のパノラマのキーマン的な存在なのだ。
 
 帰り際、イアンとロティのような食べ物「ダブルス」を食べる。ミニ・ロティといった感じか。露店のオヤジがペタン、ペタンと器用に次々と作っていく。「お金があるときは10個は食べるぜ」とイアン。なるほど、それでも3個は平らげたのには驚く。
 
 帰宅、午前1時頃か。すぐさま就寝。イアンはそれからテレビを見始めた。
 

●2月17日

 
 朝からガン、ガン、ガンと、遠くから音がする。パンヤードからだ。「パンを作っているのか?見なくては!」と衝動にかられ、朝食もそこそこにカメラ片手にパンヤードへと向かった。パンヤードではイアンが、黙々とハンマーを振るっていた。
 
 彼はハンマーでドラム缶の底を沈めているのだった。外周から内周へ、時計回りに(その逆もあるが)、あらかじめ引いておいたラインに添いながら、少しずつ、しかし力強くシンキング(沈める)していく。見るからに重労働で、顔じゅう玉のような汗が吹き出ている。
 
 「今はまだ6インチしか沈んでいない。8インチ凹ませなきゃいけないんだ」とイアンう。しかし、そのやり方というのは、その都度、底に定規を当てて目分量で量る、というもの。意外とイイカゲンのように見えるが、これぞ職人の長年のカンというものなのだろうか。
 
 「やってみるか?」という、思いがけない誘いを受けた。もちろん断る手はない。僕が「是非とも」と言うと、彼はパンヤードの倉庫から、廃材寸前?の古いドラム缶を一つ持ち出してきた。緑のペイントがされた業務用で、片方の底にはしっかりフタまであった。「不要なドラム缶」なのだろう。ドラム缶の胴に少しだけ切れ込みを入れ(空気穴だ)、まず最初はイアンが端からガンガンと叩いていく。みるみる小さな凹みが面を覆っていく・・・。
 
 ある程度の形になったところで、ハンマーを渡される。手に持ったときはわからなかったが、振りかざすと「ズシリ」と重いのに驚く。「このハンマーの重さはどれくらい?」「8ポンドだ」「え、8ポンドというと、いったい何キロなんだろ・・・」。最初は余分な力がかかっているのだろう、10回くらい叩いたところで、既に腕が震え始めた。情けないったりゃありゃしない。
 
 「こうやって叩け、こうやって」とイアンから身振りでアドバイスを受ける。自分の身体に近いところから、少しずつ自分が歩くように…。いくら叩いていても叩いていても、凹んでいかない気がする。しかも気がつけばかなりデコボコになっている。これでエエんだろうか…?。僕がぜーぜー休んでいたり、じっとドラム缶を眺めてみると、イアンは「ちょっと貸してみろ」というようにハンマーを取り上げ、ガンガンと底を凹ませていく。間近で見ると、凹みがどんどん均一化されていくのがよくわかる。
 
 「今作っているのは、(ダブル)ギターパンだ。5インチ沈んだけど、あと2インチ沈ませなきゃならない」。どしぇー、あと2インチかよ。材質の反発が強い分、たぶんここからが心臓破りなのだろう。塗料の上からラインを引いたので、剥げた塗料の上から何度もラインを引き直す。雨が降れば中断。とにかくハードだ。しかし、最終的に7インチ沈める前に、イアンは既に次の作業にかかってしまった。まぁ「体験」だからいいのかもしれない。
 
 見本のギターパンを基に、ライン引きをする。中心点から四角を取り、器用に線引きする。驚いたのは曲線部分を定規を曲げて引くことだ。これはインスタントだからか、と思っていたが、翌日、テナーパンを作っているときでもイアンはそうしていた。単純に「テンプレート使うより、簡単だろ。タッピングの時に修正するし」ということだ。本で読んだ設計方法しか知らない僕にしてみれば、革命的な(笑)言葉だ。現場でないと分からないことはたくさんある。
 
 ライン引きの後、ラインに添って再びハンマーで叩く。この作業が何を意味しているか、実はわからない。少しでもくぼみを付けてタッピングをやりやすいようにするのか、それとも、少しでも平面にしたいのか。
 
 次にタッピングだ。ポンチを使ってラインの外周に添って均一に叩く。これが意外に難しい。何回も打ち損じをしてしまう。凸凹になるところもあれば、綺麗なようでもほとんど凹面ができていない所もある。見かねてイアンがまた手を貸してくる。考えてみたらイアン、途中から自分の仕事そっちのけになっているのだ(エエンカイナ。とも思ったが、ここは彼に甘えてしまおう)。
 
 たっぷり夕方までかかってしまった。イアンは全身真っ黒である。そうか、これで毎日こんな仕事をしていれば、Tシャツもすぐ汚れるわけだ。
 
 カートはすぐ近くの家でずっとパンの指導に当たっている。例のカートのかん高い声での「パン・パン・パ~ン!」というかけ声が、遠くまで響く。そして例により(笑)、時折パンヤードにやってきては、記念写真を撮らせまくる。彼もまた僕の前では天真爛漫の顔をする。
 
 夕食後、カートに「今日はどうするのか?」と聞かれる。そうだ、今日はまだ夜の予定を決めていなかった。カートとも今後の予定を決める約束をしていたのだが、後手後手に回っていた。今日はイアンのパンヤードに行くことも考えたが、イアンは既に外出してしまっている。結局、サバンナ公園でのキング&クイーン・ファイナルを観に行くことにした。
 
 僕は(レネゲイズの練習に行く)カートと一緒にポート・オブ・スペインまで行き、そこから別行動を取ろうとしたのだが、どうも僕を一人にさせたくないらしい。昼間に相談しかけた時も、「今後、忙しいならポート・オブ・スペインのゲストハウスに泊まろうと思うんだけど」と言うと、カートは「どうしてだ。心配するな。ここの方がセーフ(安全)だ」と言う。「大事な客人をわざわざ危険な場所(ポート・オブ・スペインのこと)に一人で残せるか」といった感じだ。
 
 結局、今日はカートの奥さんのカティアンが、僕について行くことになった。ほとんど添乗員の世界だ。「バスに乗ればあとは自分で行けるから」と言っても、聞かずに「ダメダメ。危ないわよ」。イベント自体は「あぁ、こんな感じね」という印象だったが、楽しめた。審査を待たず、11時頃にはサバンナ公園を後にし、そのままレネゲイズのパンヤードへ向かう。カティアンと先に帰るか、カートの練習が終わるのを待つか迷ったが、昨日のこともあるので、先に帰ることにした。
 
 とうに12時を回っていたが、タクシーはこんな時間でも動いている。いいなぁ、日本だったら「終電ないよぉ!」って泣いてるとこだ。もちろん国の隅々まで行けるはずもないが、最寄りの所まで行けるだけでも大きな違いだ。
 
 バスは「ARIMA」行きでなく、「LA HORQUETTA」行きに乗る。往路は4TTだったのに、復路は5TTである。深夜の割増料金なのか?それともP.O.S.「行き」と「戻り」の料金がもともと違うのだろうか。
 

●2月18日

 
 昼前にパンヤードに行くと、イアンが忙しそうにしていた。テナーパンのシンキングを続けているのだ。昨日は、僕のせいでほとんど仕事にならなかったはずだ。ちょっと悪いことをしてしまった。「8インチ沈んだか」と訊くと「あと1インチ」と渋い顔だ。しかし、だいたいの見切りは付けているようで、そのままライン引きに入ってしまった。慣れた手つきで手を動かす。しかし定規を使っているものの、目盛りを測っているわけでもないので、やっぱり「エエンカイナ」と思ってしまうな・・・。じ~っと作っているところを見学させてもらった。やはり興味深い。
 
 そうこうすると、イアンはまた自分の仕事はさておいて、昨日、途中まで作ったギターを取り出してきた。作業開始だ。
 
 まず胴をカットしなければならない。鉄の刃を、ハンマーで叩いて切ってゆく。しかし、なかなか思うように切れ目が続かない。見かねたイアンが「こうするんだよ」という顔をして、ガンガンと器用にカットしていく。僕も調子のいいときはスイスイ済むんだが、いつの間にかラインが曲がっていたりする。これだけでもかなりの重労働だ。おまけに途中から、ドラム缶の中に残っていたグリスが流れ出し、危うくGパンを汚しそうになってしまった。
 
 それが終われば、いよいよ焼き付け作業だ。古いパンを土台がわりに並べ、パンを逆さに置く。その中に木材やら新聞紙やらを詰め、威勢よく燃やすのだ。パンの上からも火を入れていたが、あれはグリスを燃やすためだろう。「強火で5分だ。でもこれは火力が弱いからもっと焼かなきゃ」とイアン。グリスや外側に塗られた塗料の燃える白煙が、もうもうとあたり一円に立ちこめる。
 
 15分も焼いたろうか。イアンはパンを火の中から引っぱり出した。日本人なら日本刀のように「ここで水でジュッと」しそうだが、自然冷却に任せている。まだ幾分熱いが、再びパンをいじくり始めるイアン。ここからは純粋に経験とカンが頼りなのだろう。ウラ面の方からゴンゴンと叩き膨らみをつけ、オモテ面から滑らかな丸みをつけていく。「MATERIAL THIN!」と彼は言う。どうやら素材が薄いらしい。なるほど、調整しようとすると、ベコンベコンと曲面が波打ってしまうのだ。
 
 昼をかなり回ってからイアンと共に家に帰り、遅い昼食を取る。その後、イアンも僕も眠ってしまった。気がつけば夕方になっていたので、今日の作業はそこで中断した。完成品は未だ見ず。果たしてどうなっていることやら・・・。
 
 夜はイアンと共に、トラディショナルのバンドである、スーパーソニックスのパンヤードへ向かう。ポート・オブ・スペインまでタクシーに乗り、サバンナ公園を抜けてかなりの高台のところにそのパンヤードはあった。
 
 しかし、期待に反してスーパーソニックスは練習を行っていなかった。その代わり? 家の中に案内されて、軽いもてなしを受けた。おばあさんも登場し、何かしら和やかな雰囲気である。僕にとってはフルコース料理よりも、1本のカリブの方が嬉しい。おばちゃんは、レネゲイズの大ファンのようで、僕がレネゲイズのTシャツを着ていると敏感に反応する。「I Love Renegades!」と言ってはばからない。プレイヤーだろうが只のサポーターだろうが、その意気込みとプライドは、ただならぬものがあるようなのだ。
 
 スーパーソニックスのパンヤードは、30分ほどでおいとました。そこから、イアンはデスペラードスのパンヤードへ案内してくれた。スーパーソニックスよりも更に高地にあるパンヤードだ。
 
 周囲こそ少しビビリそうな雰囲気だが、パンヤードそのものは驚くほど近代的で、びっくりした。コンクリート造りで、しかもデザイン的に凝った造りである。しっかり野外コンサート会場も併設している。すごい。
 
 考えてみればデスペラードスのスポンサーは、タバコ会社だ。お金持ちの後ろ盾があるわけで、そういう「大手の」スポンサーがいて、しかも気合いが入っているバンドは、レネゲイズにしろデスペラードスにしろ、かなり恵まれている。
 
 観光客はほとんどいない。地元のサポーターばかりだ。サウンドは、さすがと言っていいほどのパワフルさ。もっとも、一度や二度ばかり聴いたところで、理解できるはずもないが・・・。力技で押し込んでくる、という印象を持つのは僕だけだろうか。
 
 2時間近くもいたろうか、気がつけばかなりの深夜だったと思う。帰り際に「今年のチャンピオンはどこだと思う」とイアンに訊いてみた。現在のトップは、例のD・ラダー「ハイ・マス」を抱えるニュートンズだ。デスペラードスもレネゲイズも、この時点では後塵を拝している。しかし、イアンはこのままニュートンズが逃げ切ることはないと見ているようだ。「トップはデスペラードス。2位がレネゲイズだ」彼は、いかにも彼らしいジェスチャーを-ニュートンズとレネゲイズにはフンフンと耳に手をかざし、デスペラードスにはその手に親指を立てて-して、ニカッと笑った。「カートは、(レネゲイズの)サマルーのアレンジが好きだけどネ」とも付け加えて。
 
 デスペラードスのアレンジャーは、J・サマルーとともにこの世界を代表する、バーティ・マーシャルだ。しかし、彼は「サマルーもマーシャルもいいが、ニュートンズのアレンジャーがナンバーワンだ」と言う。それぞれの思い入れもあろう。当日が楽しみだ。
 

●2月19日

 
 今日は買い物をしよう、と思う。朝一番のタクシーでカティアンと一緒にポート・オブ・スペインに向かう(カティアンはポート・オブ・スペインで店員の仕事をしているのだ)。着くと、カティアンは僕が心配らしく「どこに行きたいんだ」と訊いてくる。出勤前に、目当ての店の場所だけでも教えたいらしい。
 
 調子よくホリディ・インに行き、宿泊者の顔をして98年度版の観光案内を手に入れる。そこから、街なかをぶらぶらと回るが、思ったほどのみやげ物はない。適当に歩いていたら、いつの間にか12時近くになっていた。
 
 昼から、昨日トリニダードに到着した日本人女性4人組とお会いする。事情により1人の方は別行動だったが、ショッピングモールのレストランで食事をした。なんでも、マイアミからトリニダードへのチケットが取れず、仕方なくマイアミからトバゴに行き、1泊だけしてからトリニダードに着いたのだとか。キャンセル待ちの連続だったそうで、大変だったようだ。トバゴでリゾートする訳でもなく、勿体ないが、スケジュール的にしょうがないのだろう。
 
 この3人と共にお買い物ツアーとなった。自分も、念願の「カリブTシャツ」を買って、ご満悦。とりえあず今日だけで、みやげ物を全て買ったつもりだ。
 
 夕方、彼女たちと別れ、ポート。・オブ・スペインをぶらぶら歩く。公園ではフリーコンサートが催され、カリブを片手にぼーっと見ていた。なかなか楽しめる。特にトバゴ島からきたとおぼしき盲目のおっちゃんはパフォーマンスも最高だった。
 
 そこから久しぶりに「ホンコン・シティ」を目指し、道に迷いながらもたどり着く。無理を言って「麻婆豆腐」を作ってもらった。ホット&サワースープも美味しかった。何故、日本ではホット&サワースープが飲めないのか。
 
 夜、再びレネゲイズのパンヤードに向かう。初めにサバンナ公園にも行こうと思っていたのだが(この日はカリプソのイベントがあった)、彼女たちが「9時過ぎにはパンヤードに行くと思う」と言っていたからだ。それからサバンナ公園に引き返すのも悪くない。と、考えていた。
 
 いちどパンヤードに腰を下ろすと、妙に落ち着くものだ。けっきょく彼女たちは10時30分頃にやって来たが、今更、サバンナ公園に行く気もしなくなっていた。
 
 練習が終わったのは、いつものように午前2時。帰りは1台のクルマに7人で乗り、「ここで事故ったらオレは必ず死ぬだろうな」と、これまたいつものように思っていた。
 

●2月20日

 
 今日も朝からポート・オブ・スペインに。昨日、買いそこなったCDを物色するためだ。ポート・オブ・スペインでは、意外とみやげ物は揃えられても、レコード店は少ない。何軒かをハシゴして探し回り、「ソカ98ベスト」、「D・ラダーのベスト」、「D・ラダーのライヴ」を購入する。新品のCDでも、店によって値段が違うのは驚いた。買い物も注意せねば。
 
 とにかく今日はものすごい人だかりで、夕方あたりは身動きが取れないほどだ。ほとんどの店では明日からカーニバル休業だし、開いていても物価がバカ高くなるらしい。最後の買い出し、といったところだろうか。
 
 昨日、ソカ・コンサートが行われていた公園でひと休み。夕暮れで風もやさしく、ほっとするひとときだった。しかし、ウトウト居眠りまでしてしまったのはツーリストとしては不用心だったか。
 
 今日は早めにサバンナ公園に出向く。「キング&クイーン・ファイナル」だ。チケットを買ってから周辺の露店で、念願の「シャークバーガー(店では『シャーク&ベイクス』という名前だったが)」を食べる。肉自体は淡泊な味だが、ホットソースをたっぷりかけてもらったため、辛い。ビールに良く合う。更に喰い歩き、ダブルスも食べた。この屋台のダブルスは、辛い。後でかなり尾を引いた。欧米人のあんちゃんは、わざわざ「辛くしないでくれ」と頼んでいたほどだ。
 
 「キング&クイーン・ファイナル」は、当初は退屈なものだった。何故なら女性部門はセミ・ファイナルを見ているから、同じことなのである。この日はちょうど、インディペンデンス広場でトラディショナルのファイナルもあった。そちらを見てこよう、と思い、席を立ったのだが、気まぐれでまた席に戻ってしまった。
 
 ステージでは女性部門のエントリーが終わり、男性部門に移っていた。初めて見る男性部門はそれなりに楽しめた。何といってもオドロオドロしいコスチュームが続く。女性とはエライ違いだ。けっこう見入ってしまい、結局、そのまま会場に居着いてしまった。
 
 エントリーは全て終わった。後は審査発表か・・・と思っていたら、何とデビッド・ラダーがステージに立ったではないか! スペシャルゲストなのだろう。彼は1曲だけ歌う。曲名はもちろん「ハイ・マス」だ。観客も総立ちとなり、コーラスでは場内一体となり、身震いする思いだった。もちろん、彼のステージを生で見る初めての機会だ。
 
 その足でおなじみのレネゲイズのパンヤードへと出向く。今日は最後の練習日だ。観光客の数も、プレイヤーの気合いの入り方も尋常ではない。この期に及んで延々とアレンジの改良だ。まったく本番までは限りがないのか。
 
 この日ばかりは、あの温厚なカートもピリピリしていたようだ。それほど緊張感そして疲労も蓄積されているのだろう。少し近寄りがたい雰囲気があった。
 
 眠気をこらえ、というよりはどこにいても仮眠が取れない状態で、時計の針が3時を回った頃、やっと練習は終わった。いつものようにクルマに寿司詰めのようになり、家に帰る。車中では、いつものカートに戻ったようだ。笑い声が車中にはじける。
 
 これで練習は終わりだ。あとは本番を待つばかり。さて、明日の結果はいかに・・・。どんな戦いが展開されるのだろう。
 

●2月21日

 
 今日はいよいよ、パノラマ・ファイナルである。ここ数日は朝からポート・オブ・スペインに出ていたので、ずっと家にいると、少し調子が狂う。
 
 夜、本当は早くサバンナ公園に行きたかったのだが、イアンは7時にならないと動かないという。パノラマの開始はおそらく8時からだろう。仕方ない。
 
 夕方から、ロビンソン家はかなり慌ただしかったようだ。カートと同じく、レネゲイズのメンバーであるライ-彼は毎晩同じ車で帰る仲だ-が遊びにやってきた。僕に向かって人差し指を突き立てて、「ナンバーワン!」と気合いの入った顔で笑う。その後ろで、イアンがニヤニヤ笑いながら、指を2本立てている。「レネゲイズは2位だよ」ということだ。いやはや、こちらはリアクションに困る。あちらを立てればこちらが立たず、といったところだ。
 
 カートは、というと突然ラジカセを取り出して玄関のテラスに起き、FMでソカを聴き始めた。それこそハウリングが起こる寸前の大音量だ。日本の住宅街なら大苦情が出そうだが、こちらでは誰でもしていることなので、お構いなし。テラスは一躍、子ども達のダンスホールとなる。
 
 カートはその騒がしさとは裏腹に、じっと何か思索に耽っているようだった。あるいは集中力を高めているのか。こんな時に何を言えばいい? おそらくは黙って見守っているのが一番なのだろう。
 
 午後7時を大きく回り、ようやくイアンと共に家を出る。すぐ近くに、イアンの友人の運転する、かなり初期型の(しかもかなりガタがきている)トヨタのランクルに乗る。何故かイアンも寡黙だ。と思ったら、クルマはサバンナ公園とは別の方向に向かっていく。「あれれ・・・」と思ったが、じつは知り合いで家族の亡くなった方がいて、サバンナ公園に行く前にその弔問に伺うことになっていたのだ。それはいい。それはいいのだが、時計はもう8時だ。今からマッハで走っても間に合わないだろう。案の定、弔問を済ませてヒルトン近くの高台を走っている途中で、ラジオからトップバッターのバンドの演奏が聞こえてきた。しまった、と思ったがもう遅い。しょうがないのである。
 
 サバンナ公園に到着したのは1曲目が終わり、2曲目の準備にとりかかる、ちょうどインターバルの時間だった。入場券を買おうとすると、イアンは「買わなくてもいい。こっちこっち」と、グランドスタンドとは別の方向に僕を案内する。するとニヤリとしながら、パノラマのスタッフ・カードを僕に差し出すのだ。少しだけうろたえたが、僕はカードを提示し、晴れてスタッフとして(笑)、難なくゲートをくぐった。すぐ苦笑しながらイアンにカードを返したのは言うまでもない。
 
 スタンドに着くやすぐに2曲目がスタート。イアンは最後尾の席を示し「ここに座れ」と言ったが、僕は少しでも近くで雰囲気を味わいたかったので「近くで見るよ」とイアンに申し出た。案の定、イアンは困った顔をしていたが、「そんなに心配しなくていいから」と言って、前列から2列目の席に陣取った。
 
 座って見られたのは3バンド目から。最初のうちはまぁ観光客や一部の若者が騒いでいるくらいで、落ち着いたものだ。しかし、オールスターズが登場した頃から様子が変わってきた。前面フェンスに陣取る立ち見客が多くなり、最前列の席に座っている客から、頻繁に「見えないからどけ!」という注意や文句が絶えなくなった。最初の頃は引き下がっていた立ち見客だが、そのうち数が多くなる。そうなると逆に、多勢に無勢だ。「私はゆっくり座って聞きたいのよ」という顔をした客(地元の中年おばさんが多い)は、ただ首を横に何回も振り、「あーもうしょうがないったら」という苦い顔をするしかなくなってしまった。
 
 オールスターズの演奏が終わっても、スタンドから引き下がらないサポーターに向かって、警官がこん棒を振り回す一幕もあった。一時、場内は騒然となったが、その時のアナウンスがしゃれている。「ずっと聴きたいなら、チケットを買いましょう」。これに場内はどっと沸き、逆に拍手まで起こったほどだ。
 
 これに象徴されるように、「当局」の方はカーニバルとその前後のイベントにかなりピリピリしているようである。一つのバンドが演奏を終わると、まず先頭に立って登場するのが、こん棒を片手にした警官である。「お祭りなんだから」といったフレンドリーな顔をした警官など一人もいない。逆に「ナメられてたまるか」と自分に言い聞かせているような厳しい顔ばかりである。
 
 カーニバルは元々、時代によっては弾圧といえる規制下におかれた行事である。スティールドラムもそういう意味では、抑圧の中での隙間をぬって誕生した経緯がある。民衆のエネルギーが一気に噴き出す瞬間、祭りは暴動という化け物に変身するのだ。
 
 日本のことを思い出す。阪神ファンが、あるいは中日ファンが、久方ぶりの優勝に沸き返るあまり暴徒と化す場合がある。欧州や南米のサッカーも同様だ。もっとも、トリニダードのカーニバルが大観光化している現在、お上が恐れているのは「ツーリストの被害」なのかもしれない。「トリニダードは危険だ」という印象がツーリストに染みついたら、大変な今後の損失となるのだから。
 
 オールスターズが去って場内はひと段落したが、10番目のバンドの前に大きなどよめきと盛り上がりがあった。その10番目のスティールバンドこそ、現在トップに立っている「ニュートンズ」である。演奏曲であるD・ラダーの「ハイ・マス」の原曲が場内に流れるやいなや、場内は総立ちに近い興奮状態となった。騒然とした雰囲気の中でコーラスに加わる人、踊り始める人。
 
 今年のキーワードは、やはり「ハイ・マス」と言っていいのではないか。そう考えると、ニュートンズは図らずも「勝ち馬に乗っていた」のかもしれない。実際、サポーターやプレイヤーの盛り上がりようも尋常ではなかった。演奏前から花火は上がるは、「オレはやるぜ」といったガッツポーズを取るプレイヤーがいるは。しかし何故か、僕自身はアリマで見たほどの感動は得られなかった。しかし悪くはない。チャンプの戦いは例年以上に激しくなること請け合いだ。
 
 バンドを囲むサポーターの数を見ていると、そのバンド本来の力量や、今年の調子(あるいは期待度)が見て取れる。「ほどほどのバンドにはほどほどの拍手」だし、「大御所のバンドにはファンやサポーターが大挙して群がる」のだ。大御所・・・レネゲイズ、デスペラードス、エクソダス、フェイズII、オールスターズ、そして現在のトップであるニュートンズ・・・。さて、今年はこの混戦からどこが抜け出すのだろう。
 
 僕のとなりにはインド人のおっちゃんが座っていた。インド人のおっちゃんは総じて話し好きだ。そしてその話は、たわいもない内容が多い。このおっちゃんもその例に洩れず、「どこから来たのか」に始まり、「お前はパンを演奏するのか」「私の娘はラテン音楽のインストラクターをしている」「私の息子は空手のチャンピオンになって日本に行ったことがある」としゃべりまくり、名刺までくれた。とにかく「オレはトリニダードの音楽のことは誰よりもよくわかっている」と言いたいようだ。一つのバンドが終わるたび、彼なりの解説が入る(ウォッカを飲んで少し酔っぱらっている)。酒を分けてくれながら「ニュートンズの『ハイ・マス』、原曲は素晴らしいが、パノラマ向きではない」「エクソダスのテクニックは上手いが、クラシカルすぎる」そして「私個人のベストはこれだ」と言って、サン・フェルナンドのリストを指さすのだ。
 
 パノラマが終盤にさしかかる頃、予想していたことだが急激に眠気が襲ってきた(インド人のおっちゃんは、その数曲前から寝に入っていた。というか酔っぱらってしまったのだろう)。いっそのこと、と思い、エントリーナンバー14のバンドの時には、仮眠を取らせてもらった。何故なら、次のバンドこそ、パノラマのキーマンたるレネゲイズだからだ。
 
 レネゲイズはやはりサポーターの数、盛り上がりも「格が違う」。3連覇の貫禄である。そして予想通りの素晴らしい演奏を聴かせてくれた(もっとも、耳にタコができるほどパンヤードで聴いていた音だが)。そしていよいよ、今年のトリであるデスペラードスである。
 
 この辺の組み合わせ--3連覇レネゲイズが15番目、デスペラードスが最後の16番目--というのは、何か出来すぎという気もする。演出上、仕組まれているのだろうか?
 
 さてデスペラードスの演奏も滞りなく終わり、今年のパノラマはクライマックスを終えた。後は肝心の結果発表なのだが、それを待たずして帰っていく客が多いのにはビックリ。おそらくツーリストだろうし、帰りの混雑を考えて、ということなのかも知れないが、グランドスタンド側はあっという間にガラガラになってしまった。「試合を見て結果を見ない」というのは、スポーツなら考えられないことだが・・・。
 
 10分ほどして審査発表が威かに? 行われた。最下位である16位からの発表である。この辺ではクスクスとした笑いが起こる。まぁ順当な線、ということなのだろう。しかし、11位にフェイズIIの名が呼ばれ、会場がどよめいた。そして何とデスペラードスは5位である。その直後、4位にランクされたのはレネゲイズだった。場内は騒然とし、僕も思わず叫び声を上げていた。「5位!レネゲイズが5位!!」レネゲイズのファンはすべからく、顔が蒼ざめていただろう。それほどのショッキングな結果だ。
 
 ざわざわとした混乱が続く中で、結果発表だけは粛々と進んでいく。3位・・・、オールスターズ。2位・・・、エクソダス。そして1位・・・、ニュートンズ!
 
 場内の興奮は頂点に達していた。ニュートンズは初の栄冠である。失礼ながら日本では知名度のほとんどないスティールバンドが、レネゲイズやデスペラードスといった並みいる強豪の追撃を振り切り、ついにトップでゴールに飛び込んだのだ。
 
 結果を聞いた瞬間、イアンは僕をせっついて、足早に会場を後にした。その後ろ姿は「わからない。オレにはわからない。一体どういう採点なんだ」と言っているようだった。
 
 今回のジャッジには色々な見方があろう。予選からの結果を見れば、ニュートンズ優勝は順当な線だと思うし、「もう今年はレネゲイズはいいだろう」という政治的な思惑があったのかもしれない。しかし、何はともあれ、やはり自分のひいきのバンドが勝てなかった事が一番落胆するものだ。そして、その逆は・・・。おそらく来年のパノラマまで、勝利の美酒に浸れるのだろう。
 
 これで、トラディショナル・コンベンショナル双方とも、アリマのバンドがチャンピオンになったことになる。考えてみればすごい快挙かもしれない。
 
 家に戻ったのは午前5時を大きく回っていた。興奮冷めやらぬまま、しかし身体は正直だ。そのまま、深く大きく眠りについた。ニュートンズ優勝の余韻に浸りながら。
 

●2月22日

 
 特記事項なし。ひたすら睡眠+ゆっくり。家からもほとんど出ることなし。カート、イアンとも姿を見せず。おそらく爆睡しているのだろう。僕も昨日の疲れが抜けず。興奮もまた抜けず。
 

●2月23日

 
 気がつけば早いもので、今日が実質上、トリニダード最後の日だ。
 
 朝は少し残念なニュースから始まった。スティールバンド「スーパーソニックス」の街頭演奏ができなくなったというのだ。イアンが僕に「くっそー」という調子で事情を説明する。その内容は割愛するが、僕は以前「曲は簡単だからお前も演奏するか」と言われていたので(その話が冗談かはともかく)こちらもかなり落胆してしまった。まがりなりにもイアンがリーダーのバンドである。その勇姿? をファインダーに収められないとは、残念だ。
 
 トリニダードの街なかでは、今日の早朝(4時頃)から「ジュベイ」というイベントが始まる。いわゆる何でもありの街頭大騒ぎのことだ。泥まみれになったり、ソカで踊り狂ったり、もちろん仮装で街を練り歩いたり。もちろん多くの人々の片手には、ビールびんがある。スティールバンドやサウンドシステムも登場する。
 
 いよいよ、カーニバル・モードに突入だ。
 
 テレビでは、早くからサバンナ公園の模様を延々と生中継している。趣向を凝らしたコスチュームの列、列、列。公園中央に設けられた特設ステージを次々と練り歩く。実はこれは、(会場でチケットを買って、観客として見てみると)意外とつまんないことは以前の旅の経験から知っている。他人のどんちゃん騒ぎの行列を、客席から大人しく見ていて、何が楽しいものか・・・。
 
 とは言うものの、それをテレビからぼーっと見ているのも悲しすぎるもの。しかし致し方ない。タクシーを使いこなせない限り、自力でその場所-サバンナ公園だろうが街の大騒ぎだろうが-まで行き、帰ってくることは不可能だ。しかも、ロビンソン家の大人は、子ども以外はみんな過密スケジュールがたたったのか、疲れている。当然だ。特に男衆2人は(カートとイアンのこと)今まで形は違えど、パノラマとパンのことで夜も昼もなかったはずだ。
 
 自然、こちらも気を遣い「僕も連れてってくれ」とは言えなくなる。イアンなどは朝に顔を見たきり姿を消してしまった。僕はてっきりポート・オブ・スペインに行っていたと思っていたのだが、疲れ切って夜まで爆睡していたのだ。
 
 ぼーっとテレビを見ていたらいつの間にか3時過ぎになってしまった。内心「トリニダード最後の日なのに・・・」と歯ぎしりしながらヒマを持て余す。仕方ないので、ちょっと気分を変えよう、と、パンヤードに行ってみた。あれから、例の自作「ギターパン」の姿を見る機会がなく、去る前にパンに最後の別れ(笑)を言いたかったのだ。
 
 パンヤードは開いていた。知った顔が1人、見知らぬ顔が2人。しかし僕が「カートの家に泊まっている日本人」ということは承知していたようだ。僕のギターパンはあれから数日しかたってないというのに、見事に錆びついていた。持参したスティックで叩くと、鈍いながらも、ちゃんとパンの音がするから驚いた。
 
 パンマンにとってはカーニバルはホリデーではない。逆に、一年でもっとも忙しいといえる時期なのだ。そのためか、「バカ騒ぎしてる時間があったら、まずゆっくりしたい」と思っているようだ。しかし、結局、足を運ぶのはパンヤードなのだろう。パンヤードはパンマンの憩いの場所であり、誇りの拠り所であり、そして・・・大袈裟に言えば、魂の集まる場所なのなのかもしれない。
 
 彼らの話の輪の中に入る。いや、ほとんど会話が聞き取れないので、ただ聞いているような顔をしていただけなのだが。それでも、時たま僕に話を振ってくるのだ。嬉しいが困った。「本当に英語を学びたいんならスクールに行くことだ」。彼らは自分たちの英語がブロークンでスラングばしばしということは十分自覚しているようだ。「例えばこの国の英語もバルバドスの英語も、少しずつ違う。もちろん会話はできるが・・・。やはり英国の英語を学習すべきだ」と。しかし横から「いや、アメリカの英語の方が実用的だよ」と。話はさらに弾む。そして会話はまた僕の英語力ではついていけなくなってしまった・・・。
 
 みな、温かい。いちど心を分かち合えば、次の日からは「ヤ~マン!」「ゴチソ~」で拳をコツンと叩き合い、笑顔がこぼれる。この輪の中へ自分が如何に、今後溶け込めてゆけるか。希望であり、課題だ。
 
 夜、8時過ぎからカートがアリマに連れていってくれた。ジュベーは最高潮に盛り上がっている。ソカ、ダンス、スティールバンドなどまさに『何でもあり』。雑踏と喧噪とゴミの山。P.O.S.とは違い、観光客は限りなくゼロに近い。僕はまさに異邦人である。カートがいなかったら、とても行けたもんじゃない。怖い。それでもカートは友人を見つけては「トモダチ!」と言いながら写真を撮りまくる。こちらは、おずおず、という感じである。
 
 ソカのダンスの輪の中に興じ、足でリズムを取る。ひたすら繰り返される曲はカーニバルならではのものだろう。ポリスの「見つめていたい」がソカにアレンジされ、はたまた「カーニバル!カーニバル!」と絶叫。と、突然、サウンドシステムから音が止まった。前方からスティールバンドが、コンテナのように引っ張られながらやって来たのだ。耳をそば立てていると、それが、パノラマ・チャンピオンである「ニュートンズ」であることがわかった。さっと道を開ける群衆。いちいち言葉には出さないまでも、パンへの敬意が見て取れる。パンの位置づけは、特別なものがあるのだ。
 
 道を少しずつ流していたトレーラーが、停止した。その間ずっと、ニュートンズは「ハイ・マス」を演奏し続けた。聞き耳を立てずとも、音に身体が包み込まれる。この曲だ。この曲が僕をここに導いたのだ。・・・数分後、トレーラーはまだガタリと移動を開始し始めた。
 
 フェンスにギシギシともたれかかり、彼方に去りゆくニュートンズを見送る。パンの音色が遠ざかり、過ぎゆくアリマの夜を想う。一瞬の静寂のようなざわめきが、再びソカのけたたましいサウンドにかき消される。おびただしい通行人の数。ゴミの山。踊り狂う若者。今日だけはカムバック、しかしスタイルだけはカバーできない中年層。そして異国のなかで、音の洪水に呑み込まれている、僕。
 
 翌朝、僕はトリニダードを後にした。今度に来るのは一年後だろうか。その頃までには・・・と、色んな誓いを立て、飛行機に飛び乗った。数日後には日本の土を踏む。そこから。
 
(了)


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